Science, Technology, and Entrepreneurship

早稲田ビジネススクール准教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

世界はフラット化するのか、尖っていくのか


数年前に発売されたトーマス・フリードマンによる著作「フラット化する世界」は世界的にベストセラーになり、日本でも大きな影響力を持つ著作となった。


フラット化する世界(上)

フラット化する世界(上)


この著作のポイントは、世界がグローバルネットワークでつながり、複数の地域間で連携したビジネスが展開されるようになった、ということである。一番分かりやすい例は、米国のマクドナルドのドライブスルーにおける注文応対の定員は店内にはおらず、別の地域で優位性を持つコールセンターにつながる、というような話である。グローバルにビジネスパートナー・労働者が一つにつながり、世界か均質化(=フラット)になりつつあるというはなしである。

一方で、数年前から海外では注目されている、リチャード・フロリダの著作"The Rise of Creative Class"は日本ではほとんど注目されていない。まだこの日本語訳すら発売されていない。今年になって、リチャード・フロリダの2作目である「クリエイティブ・クラスの世紀」が漸く発売されたという状況である。


クリエイティブ・クラスの世紀

クリエイティブ・クラスの世紀


この著作のポイントは、グローバルにビジネスは広がりつつあるが、クリエイティブな活動をする人材は、特定の地域に集まる、という指摘である。サンフランシスコ、ニューヨーク、パリ、シリコンバレーなど、クリエイティブな人材が望むライフスタイルを成就することが可能な地域に人材が集まる。人材はグローバルな世界の中で、自分が最も好む街に移住する、ということである。

インキュベーションの活動に携わっていると、海外のカンファレンスでは、「フラット化する世界」(フリードマン)と「尖った世界」(フロリダ)の対比の議論が良く起きる。同じグローバル化の議論の中で、なぜ真っ向から対抗する二つの考え方が存在するのであろうか。

この問を書く鍵は、「職能のコモディティ度」にある。グローバル競争の中で、他に代替可能な職能(コモディティ化された職能)については、グローバルネットワークの中で世界で最も人件費の安い地域に業務が流れる。一方で、他に代替不可能な職能(コモディティ化された職能)、すなわちクリエイティブな高い仕事については、人件費は高くても世界で一番適した人材に仕事が流れる傾向がある。従ってクリエイティブな人材は、世界で最も適した町に住み、充実したQuality of Lifeを謳歌することが可能である。

インターネットの時代になって、製品の購買も大きく変わった。誰でも生産できる製品については最も世界で安いものを購入できるため、価格競争がより激しくなる。一方で、希少性の高いものについては、価値に関する競争がより激しくなり、例え高いものでも世界で最も品質の良いものがより売れる環境となる。この流れと似ている。

グローバル化の中での競争の激化は今まで以上に激しくなる。コモディティ化された職能の世界で生きるか、コモディティ化されない職能の世界で生きるか。どちらかがより幸せか、ということを判断することは難しい。特に、グローバルな競争にさらされたプレッシャーの中で常にクリエイティブであり続ける、ということが真に幸せかどうか、ということについては色々な考え方があるように思う。だとしても、この時代の変わり目の中で、今までとは大きく違う社会環境の中で、キャリア構築をしていかないといけないことは明らかである。

このような時代に求められる大学の在り方、学生の育成にあたって考えないといけないこと、大きく変えないといけないことは間違いない。学生にどのようにこのような潮流を肌で感じてもらうか、もっと考えていかないといけない。