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Science, Technology, and Entrepreneurship

政策研究大学院大学助教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

私が福澤諭吉に興味を持ったワケ -


はじめに
私のことを良くご存じの方は、私の「福澤オタク」っぷりをご存知かと思います。たまたま高校から湘南藤沢高等部に入学し、環境情報学部、大学院政策・メディア研究科修士課程、助手、助教、博士課程と、長く慶應にいるので、事あるごとに福澤精神に触れる機会が多かったことは事実です。でも、触れる機会が多かったといって、興味を持つとは限らないし、没頭する必然性はありません。しかも何より、ずっとSFCにしか在籍したことがありません。慶應義塾の本流と呼ばれるところは一度も体験したことがありません。高校から大学に進学するときに、塾内進学者は三田キャンパスにいって、大学の入学手続きをするんですが、その手続きのときに塾監局の人から「藤沢から藤沢への進学なんだね。ははは。」と、馬鹿にされたような気もしなくもない言葉をいただいたことを良く覚えています。こんな環境の中で、なぜ私は福澤精神に興味を持ったのでしょう。


高校1年の頃
高校入学の頃を思い出すと、当時の石川塾長や稲田部長のご挨拶の中で、福澤精神について触れられていたのかと思いますが、全く記憶にありません。そもそも福澤諭吉への興味なんて全くありませんでした。高校1年の7月の特別カリキュラムにて、「福澤諭吉」という映画を見せらました。私自身、そもそもこの映画を面白いと思わなかったこともあり、またこのような形で無理やり、福澤精神を学ばせることへの嫌悪感を感じたのが正直なところです。そのときの授業では、映画を見た後に、「上野で戦争が行われている中、戦争に行く塾生を止めて、学問をやり続けた福澤の行為は正しかったか否か」(ちなみに、これは後に「ウェーランド講術記念日」として知られている出来事であることを後に知りました)という内容のディベートをしました。私は元来ディベート好きなので、議論には参加したと思いますが、本音ベースでいえば、「そんなのどってもいいじゃん!」という程度の意識の低さでした。このときの授業は、当時まだ非常勤講師で理工学部の修士の学生だった若手の先生が担当なさっていましたが、「どうしてこの人はこんなに福澤精神に興味を持っているんだろう。」と素朴な疑問を感じていました。


福澤弁論大会
そんな私がちょっとでも福澤諭吉との関わりを持つようになったのは、高校2年生のときに参加した「福澤諭吉記念祭全国高等学校弁論大会」がきっかけでした。たまたま身近な先輩たちが参加していた大会ということもあり、私は元来自分の意見を人前で述べるのが好きな性格だったので、チャレンジしてみようと思いました。当時は、校内予選があって、5人くらいのcandidateがいたと記憶しています。高3の先輩の方が多かったし、まさか自分が校内予選を通るなんて全く思ってもみなかったのですが、なんと学校の代表に選ばれてしまいました。

この大会12月の第1週に大分県の中津市にて開催される大会です。この年は運悪く、学期末試験の初日と重なってしまいましたが、公欠で参加することになりました。期末試験の公欠は当時は前例がなかったですし、後にもあまりないような気がします。ただでさえ、試験勉強が大変な時期に、弁論大会に参加する、そのために練習も沢山しないといけない。高校2年の成績は大学推薦の2割のウェイトを占めていのでつらいよな、というのが本音でした。そのことを当時の主事(教頭)の先生にこぼしたところ、「学校の授業の成績なんてそこまで重要なもんじゃない。そんなことよりも、今回の体験の方が絶対はるかに将来役に立つ。必ずその意味が分かる日が来る。」と励まして下さったのを今でも覚えています。高校生の当時は、「そんなこと言ってもさ、成績が気になるよ。」というのが本音でしたが、今にして思えば、その先生の言葉通りでしたし、そういう言葉を主事という重責の方が言える学校っていうのは、慶應義塾の一貫教育校らしさを体現する良い学校だったな、と思います。

このときの試験は、数学、化学、漢文でしたが、数学と化学の2科目は、お二人が試験問題を別途私一人のために作るのが面倒だったのか免除になりました。中間試験の成績をベースに、期末試験の成績をつける、ということになりました。数学は中間試験でそこそこ良い点数だったので幸運だったのですが、化学は学年ワースト5に入るような点数だったので、これで挽回の余地はなくなったなぁ、と思って落ち込んだりしていました。漢文はまじめな方で、「みんなと同じ試験を後日受けて点数の7掛けにするのと、新しいテストで勝負するのどちらがいい?」と聞かれて、7掛けは損な気がしたので、後者を選んだんですが、結構難しい試験で、点数はボロボロでした。まぁ、それにしても、最も勉強に時間がかかる、数学と化学の試験を受けなくて良くなったのは、弁論大会の時間を差し引いても、結果的には幸運だったような気がします。

そんな訳で、弁論大会に参加した訳ですが自由論題だったので、テーマについても福澤関連は選ばず、「文化の壁を超えて」というタイトルで、人種差別と言葉、といったような内容を話しました。そこそこ受けが良く、結果的に3位(大分県教育長賞)を受賞したように記憶しています。この大会は、オプショナルツアーで、福澤諭吉の生家やら、記念館やらを回ったんですが、今振り返っても、何一つそのときの記憶が残っていません。如何に福澤に興味がなかったか、ということなんだと思います。ちなみに、この同じコンテストに7つ下の後輩である花崎も参加していて、彼は少し記憶があると言っていたので、彼の方が私よりも興味は強かったのでしょう。

そういえば、帰り羽田空港についたときに、引率して下さった先生と中華料理にいったのですが、ビールを勧めて下さったのを記憶しています。「おめでとう、とお疲れ様」の意味だったのかと思いますが、当時の私は今と違って随分まじめで、「いえいえ、飛んでもない。」とお断りしたのですが、今思うと飲んでおけば良かった。とこれはもう時効ですよね。


慶應義塾の目的

私が慶應オタクと思われるもう一つの理由は、「慶應義塾の目的」を暗唱できる、ということでしょう。でもこれも、慶應義塾が好きだったり、慶應義塾の目的に心酔した訳じゃないんです。高校3年生のときの数学の先生が、「慶應義塾の目的」を書きなさい、という試験問題を毎学期10点分、選択問題として出すんです。ちなみにもう一つの方を選択すると数学の応用問題。そうしたらどう考えても、「慶應義塾の目的」を覚えた方が楽に決まってる。しかも1回覚えたら、毎学期10点とれるんですよ。という訳で、「慶應義塾の目的」を覚えることにしました。このあたりの発想が、如何にも塾内進学者っぽいよなぁと今振り返ると思います。


小泉信三賞小論文コンテスト

結局福澤に大した興味も持たないまま、高校3年生の夏を迎えます。その夏休みのときにたまたま教員室前ですれ違った際に主事の先生から「小泉信三小論文コンテストに応募してみない?」と声をかけられて、応募してみようと決意しました。そのときの論題の一つが、「福翁自伝を読んで論じなさい」というものでこれを選びました。これも別に、福澤諭吉について研究しよう!と思った訳ではなくて、他の論題が「環境問題について」とか、自分の興味ないものばかりで、とても書けそうになく、消去法で残ったからです。

高校3年の夏に、初めて「福翁自伝」を読みました。そのときから、がらっと福澤諭吉へのイメージが変わることになります。それまでの福澤諭吉のイメージと言えば、1万円札に載っている偉くて真面目で固い人、というイメージでした。そもそも高校1年のときに見た「福澤諭吉」という映画が良くない。真面目な顔して、真面目な行動ばかりが強調されている。「戦争より学問が大事」と言われたって、「へー、そんなに勉強が好きなんだ。真面目で偉い人なんだな。」くらいの感想しか持ちません。それが「福翁自伝」を読むことで、福澤が如何に自由闊達でユーモアを持った人なのかを知り、衝撃を受けました。福澤のイメージが180度変わって、身近な人になりました。誰から押し付けられた訳でもなく、自分の中で「こんな変な人はそうはいない。何て面白い人なんだ。」と思い、自然と福澤に興味を持つようになったんです。

このときの論文は、「福澤諭吉に見る差別観」というタイトルで、中津の弁論大会で話した内容をモチーフに、アレンジしたものです。実は私この時期、国内外の多数のコンテスト受賞や選抜式のイベントに参加をしています。良くそんなに色々と応募するネタがあったね、と言われますが、実はそれらの資料は全て中津のときの弁論大会の内容の使いまわしなんです。このあたりの要領の良さも、塾内進学者っぽいですよね。

そんなこんなで、応募してみたところ、結局佳作をいただくことができました。私の原稿は審査員の皆様のコメントと共に、当時の三田評論に掲載されています。そして1月10日の福澤諭吉の誕生日の式典の中で表彰状をいただきました。この式典の内容も全く覚えておらず、そんなに興味はなかったのかな。唯一の記憶は、鳥居塾長が私の名前を読みあげるあげるときに、名前を読み間違えた、くらいです。確かの私の下の名前が皆さん、読めないのは分かりますが。。。。

そういえば、このときに5万円の賞金をいただいたのですが、せっかくなのでこの賞金を有意義なことに使いたい。そこで、稲田先生に相談して、5万円分の本を学校に寄贈させていただくことにしました。私が後輩に残したいと思う本を選んで。稲田先生がそのときに、「牧兼充君寄贈 小泉信三賞小論文コンテスト佳作受賞を記念して」というハンコを作って下さって、全ての本にハンコが押印されています。そのときに寄贈した本まだ残っているのかなぁ。海外に行く前に一度母校にいってみてこようかな、と思います。


新入生代表入学の辞

卒業間近を控えた高校3年の2月に学部の推薦発表があります。事前に主事から「推薦発表が終わったら話したいことがあるから自分のところに来るように。内容については今はまだ言えない、」と言われていて、ずっと気になっていました。そして主事のところに行くと、「推薦発表よりもはるかに大事なことがある。慶應義塾大学の入学式では、新入生総代が入学の辞を述べることになっているが、これは4つの塾内の高校の持ち回りで代表を選ぶことになっている。今年は藤沢の番で、稲田部長のご意向としてぜひ牧にやってもらいたい、ということになった。」と突然言われました。

私はそもそも、大学の入学式がどんなものかすらイメージできないし、新入生の総代ってそもそも何を話せばいいのかすら分かりませんでしたが、せっかくいただいた機会、最善を尽くしてみようと思いました。ちなみに、普通こういうものは、成績トップの人が選ばれるものなんじゃないかと思います。私は、学年ではどちらかというと下から数えた方が良い成績でしたし、いくつかの科目では学年ワースト5に入るくらいでした。生徒会や対外的なコンテスト受賞など、成績を無視して課外活動の評価「だけ」で選んでくださる稲田先生、今振り返ると本当にすごい方だったんだな、と思います。

そして、三田から過去5年分の総代の原稿が送られてきました。その文章はどれも素晴らしいものばかりです。しかも、この総代の原稿は折畳み式の和紙で、筆で皆さん書いています。皆さん達筆な人ばかりです。さて、そもそも私は左利きです。子供の頃から書道は大の苦手科目。稲田部長に相談したら、「そもそも今の時代、パソコンで書くのが普通だろう。塾監局にパソコンで作っては駄目か交渉してこい。」と言われたので、塾監局に言ってみると案の定却下。

これは、今だから言える話ですが、皆さん筆で出している中、私はあの原稿をサインペンで書いています。しかも、高校時代からパソコンばっかり使っていた私はそもそも文字を書くことが苦手。本当に汚い字です。担当の先生からは、途中で半ば呆れられ、「普通、こういう役割を担うときは、字が綺麗な生徒を学校は選ぶべきよね」と言われたりしました。和紙に書く練習を何度しても、誤字がなくなりません。そこでふと気づいたんですが、折り畳み式の和紙であれば、折り目に合わせて貼り合わせれば、目立たない!という訳で私はこの「技術」を多用し、どうにか原稿を完成させることができました。つまりは、継ぎ接ぎだらけでサインペンで書いたこの原稿が、未だに慶應義塾に永久保存されているはずです。

さて、それよりもはるかに大事なのは内容なんですが、本当に本当に本当に、悩みました。過去5年間の原稿を見ると、皆さん福澤諭吉のことを語っている。私は元来、天の邪鬼なところがあるので、「どうせ入学の辞の原稿を書くんだったら、福澤諭吉のことを一切触れない、挨拶にしてみたい!」と思って原稿を書き始めました。でも一方で、今回の入学の辞は、母校を代表して選ばれているので、さすがは藤沢の卒業生と呼ばれるような原稿を書かないといけない、というプレッシャーが強くありました。そのために、原稿を書くにあたって、慶應義塾の精神を色々な文献で学びました。ちなみに、この頃に「学問のすすめ」を初めて読みましたが、文語体で何が書いてあるのかさっぱり分からなかったことを良く覚えています。さて、慶應義塾の精神を学べば学ぶほど、福澤諭吉のことを一切触れずに原稿を書くのは、如何に至難の業であるかに気づき、あっさりと方向転換して、福澤諭吉のことも触れることにしました。そんなプロセスを通じて、福澤諭吉への知識が増えて、そして興味を持つようになってきました。

正直に言えば、私は福澤精神を前提に「入学の辞」を書いた訳ではなく、私が大好きな母校の名を汚す訳にはいかない、という責任感で、必至に勉強しているうちに、福澤精神に興味を持った、ということかと思います。

ちなみに、この入学の辞は、入学式の前日に、日吉記念館にて練習の場があります。誰もいない日吉記念館でただ一人この原稿を読むんです。そのときに担当していた塾監局の方に「君、学校の成績トップだったかも知れないけど、原稿読むの本当に下手だね。全然声が通っていない。」と言われました。思わず、「あのぉ、成績も全然悪かったんですが。。。」と言いそうになりましたが、母校の名誉のために口をつむぐことにしました。


当日の原稿(手書き)が、以下のURLにあります。
http://www.kanetaka-maki.org/kanetaka1996-entrance.pdf


当日のビデオが、以下のURLにあります。
http://web.sfc.keio.ac.jp/%7Ekanetaka/activity/entrance1996/entrance_normal.WMV


まとめ

そんなこんなで、高校3年間の色々な出来事を経て、私はすっかり、福澤諭吉に興味を持つようになりました。決して誰からも強制された訳でもありません。慶應義塾の素晴らしいところは、福澤精神を決して押しつけない、というところであるように思います。「興味持ったら学んでみたら?興味もつのは君の自由だよ。」という文化が大事だと思っています。私は後輩に福澤精神を語りますが、決してそれを押し付けることがあってはならない、と思っています。

私は高校の前半は、福澤諭吉の価値観を押し付けられるような気がして、むしろ福澤諭吉を敬遠していたところがあります。そんな私が興味を持つようになったプロセスに「強制力」は一切存在しません。でも、そんなきっかけを私に提供下さった方が沢山いらっしゃって、そのプロセス自体も、慶應義塾らしいなぁ、と振り返ってみると思います。

この高校3年間の活動が基盤となって、大学の活動がスタートして、そして今の自分があるんだな、と思います。さて、そろそろ次のフェーズに進まないといけない時期ですね。