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Science, Technology, and Entrepreneurship

政策研究大学院大学助教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

「卵と壁」から見る、生徒を延ばす教員とスポイルする教員 -SFC中高同窓会幹事会に参加して感じたこと(4)-

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「はちゃめちゃ」であることの定義
先日のSFC中高同窓会の幹事会には、SIVの活動を一緒にやった学生、私のSFCの授業を履修した学生も多数参加していた。大学にいると教員と学生という面倒な関係になってしまう部分があるが、同窓会は普段の関係は忘れて、純粋に先輩と後輩として接することのできる貴重な場だ。

その中には、私がSIVで一緒に活動していたある学生が参加していた。その学生は、良い意味で生意気で、自分の信じることに向って突進していく。そのときに、軋轢が生じることがあってもそれを恐れずに前へ進んでいく。若さゆえの「はちゃめちゃさ」を持っている。私からすると、自分の昔を見ているようで、頼もしく、心地よく、応援したくなる学生だ。私よりも遥かに有能で心から尊敬している後輩の一人だ。でも一方で、先輩としては叱らないといけないときもある。しかしながら、自分自身がその学生の立場であったならば、叱られても反発するだろうし、自分の価値観でその学生を叱ることが本当に良いことなのか自信がない。私が叱ることによってその学生をスポイルしてしまうかも知れない。常に葛藤の繰り返しだった。その学生には、常日頃「自分も昔は同じくらい無鉄砲で生意気だった。だから自信を持って突っ走って欲しい。」と言い続けてきた。

でも、自分がその学生の立場だったら、「自分も昔は同じくらい無鉄砲で生意気だった。だから自信を持って突っ走って欲しい。」と言われても、「そうは言うけれども、どうせ自分とは違ったんでしょ。」と思って心から信じることはないだろうなと思い、言っては見るものの、きっと信じてはもらえないだろうな、と思っていた。

今回の同窓会には、私の高校時代や大学時代を良く知るSFC中高の初代部長(校長先生)がいらしていたので、その部長であれば私の昔の「はちゃめちゃ」っぷりを話していただけるだろう思い、その学生を連れていき話にいった。初代部長に、「私の昔のはちゃめちゃっぷりを彼に話してあげて下さい。」とお願いしたところ、「牧のことをはちゃめちゃだったなんて、全く思ってないよ。この学校の生徒会を立ち上げたようなやつで、生徒会規約を作ったりしてきた。普通生徒会規約なんて作りたがる生徒はいない。そういうところは、牧はやっぱりヨーロッパ育ちなんだなと関心していて見ていた。規約に基づいて組織を運営するというのがこの学校のカルチャーとして定着した。牧はこの学校の文化を作った生徒の一人だと言っても良い。今日の同窓会の組織運営を見ていても、そのカルチャーが引き継がれているのが分かる。」との返事。私としては、大袈裟すぎるよなと思いつつもお褒めいただくことはうれしいことである反面、私の目的からすると全くもってKYなお返事で、残念ながら目的は達成できなかった。

そこで次に、二代目部長のところへ伺った。私は初代部長の時代に卒業しているので、2代目部長とは高校生の頃の面識はない。卒業してから、大学におけるプロジェクトで中高と関わったときにお会いしたり、同窓会の立ち上げでお世話になった方だ。その方に話を聞いてみると、「牧君の名前は初めて会う前から教員会議で良く名前が出るので知っていた。色々な先生から、あいつは生意気だから気をつけろ、と良く言われていた。」とのこと。この返事を聞いて、漸く目的達成、と一安心できた。


この話からの「気づき」

ところで、この経験を通じて、自分自身の過去を振り返って、様々な気付きがあった。

第1点はは、初代部長のお陰で、今の私があるということ。「はちゃめちゃ」だった私をかばい続けて、常に防波堤になって下さっていたのは、初代部長だった。初代部長がいなくなった途端に、現場の教員が私のことを批判しやすくなったということは、まさに初代部長の存在が大きかった、ということだ。私にとっての人生最初のメンターは初代部長だったんだ、と今更ながら気づいた。

第2点目に、学校が私みたいなキャラクターの者を認めて下さらない方が力を持つ場に変化した、ということだ。ちなみに、この批判をしたのが誰だったのか興味があったので私の仲良い先生にヒアリングしてみたところ、何人かの先生の名前が挙がってきた(もちろんブログのような公の場で、特定の方を名指しで批判することはしない)。もちろん、色々な先生方に受け入れていただけないことは私の不徳の致すところなので、自分自身が反省しないといけないことが多々ある。でも、その先生たちは、私のようなキャラクターの生徒がもし後輩として中高に在学していたとしたら、育てることなく、スポイルしていたんだろうな、と思った。福澤諭吉ロールモデルにして、福澤の教えに従って行動すると、その先生たちはきっとスポイルする方向で動くように思う。そう考えると悲しい気持ちになる。

学校という場において、生徒・学生がどこまで伸びるかは、良くも悪くも、教員の能力やスケールの大きさがボトルネックになることを忘れてはならない。私は初代部長の能力・スケールの大きさに守られてきた。教員は、自分とは違う価値観を持って突っ走る生徒・学生がいても、スポイルしてはならない。その生徒・学生を信じ続けて見守ることが本来的な使命であると思う。もちろん、危ないときは事前に守ってあげることは必要だが、それはスポイルすることとは本質的に意味が異なる。それが教員に求められる能力だ。私自身がそれをできている自信は全くないが。。。。。

第3点目として、なぜ私が教員から信頼されなかったのか、ということを自戒をこめて振り返ってみる。私は、学生時代(つまり学部生から修士にかけて)、「生徒と教員の間にコンフリクトが発生したら、生徒の言い分が正しいか間違っているかは別にして、常に生徒の味方をしよう」と心がけて行動してきた。生徒と教員がぶつかるときというのは、生徒の言い分が間違っていることは意外なほど少ない。ほとんどない、と言って良い。そのような言い分をもった生徒とぶつからないように、教員はもっと「大人」になれよ、と思っていた。

これは当時の未熟な私にとっての一つの美学でもあった。村上春樹氏がエルサレム賞を受賞したときのスピーチで以下のような一節がある。

ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということだ。

そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?


この一節と私の感性は極めて近い(正確に言うと村上氏は、卵は人間、壁がシステムというメタファーなので若干異なるが)。教員という権威を持った「壁」よりも、若くて未熟な生徒という「卵」がいたら、常に「卵」の側に立ちたい。その価値観が未来を紡ぐことである、と信じていた。この価値観「だけ」を信じていたことが私が未熟だったし、大人になかなかなれない所以でもあったのだが。。。


まとめ
私は、この価値観を忘れないようにしながら、大学の教員としての7年間の仕事をしてきたと思う。従って、教員として学生を叱る、すなわち、学生とぶつかるときというのは、大きな覚悟が必要だった。「自分が命をかけてでも相手に伝えたいこと」を、不器用ながらに懸命に伝えるプロセスであったように思う。これは教員と学生の「真剣勝負」だ。でも、普段「卵」サイドにいる私が突然叱っても、「機嫌が悪いから」、「精神年齢が低いから」くらいに思っている学生も多かったように思う。それはまさに私の未熟さを表していることだと思う。

今、30歳を過ぎて、再び母校の同窓会幹事会に参加し、この自分自身が学生時代に持っていた気持ちを改めて思い出した。30歳を過ぎた今、この価値観を今後持ち続けられるかどうか自信がない。なぜ、私が教員から嫌われていたのかも今となっては良く分かる。20代の視点と30代の視点はやはり異なる。その意味ではやっぱり"Don't trust over thirty."という言葉は本質的には正しいのかも知れない。「卵」ではなく「壁」サイドに立ってしまっている自分がいるように思う。

若手の人たちは、30歳になるまでの間は、社会人となっても、「壁にぶつかっていく卵」であって欲しいと思う。それが社会を活性化していく起爆剤になるような気がする。

そして、30歳過ぎても、そのような20代を過ごしたという経験に基づいた「大人の流儀」を貫くことが社会的な役割であるような気がする。自分自身が「壁」になることなく、「卵」サイドに立つという気持ちを持ち続けられる人間でありたい。

そんな自分が忘れかけていた初心を思い出すことのできる貴重な同窓会幹事会だった。