Science, Technology, and Entrepreneurship

早稲田ビジネススクール准教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

幹事能力の高い人、低い人


幹事の能力
仕事柄、性格柄、色々な人の催すイベントに参加する経験が数多くありました。最近は、研究に没頭するために、「社交性の低い人間」となるべく日々修行を積んでいる状況ですが、それでもたまにはもろもろの会に参加することがあります。

大学にいると懇親会、合宿、研究会など様々な人と人が集まる場があり、その度に幹事の学生を決めて、運営を担ってもらっていました。さて、このようなイベント、幹事によってその運営能力の差が色濃くでます。学生はまだまだ経験が足りないので、仕方ないと思いつつも、そのアウトプットの差には愕然とすることがあります。

では、社会人になるとどうでしょうか。経験を積むとこういった能力は高まるのでしょうか。色々な会に参加して感じますが、社会人になっても、結局のところこの運営能力の差は愕然とするほど、大きいものがあります。結局何歳になっても、こういうのは苦手な人は苦手なんだなぁ、と痛感する次第です。

でも、幹事業というのは、本当に能力差なんでしょうか。もちろん、ある程度経験を積んだ方が良いアウトプットを出せることは確かなんですが、それ以前の問題として、幹事業に対するattitudeの違いが大きく出ているのではないか、と思います。


人間関係にパラノイア
正直に告白しますが、私は人間関係恐怖症だろうと思います。イベントなどをホストするときの気づかいは異常なほどのパラノイアです。

恐らくこの症状は、SIVの6年間、特に前半の苦労に起因しているんだろうと思います。SIVの初期の頃は自分自身に全く能力がなく、誰にもgiveできるものがありませんでした。そんな中でインキュベーションのコミュニティを立ち上げていかなくてはなりませんでした。私自身がgiveできるものが何もない中で、でもこの活動への未来への可能性を感じて、イベントにご参加いただいたり、ご協力いただくゲストの方がいらっしゃることが何度かありました。でもそのようなときというのは、相手はこちらのことを様子見ですし、分かりやすく言えば「今回満足いただけたら次回もまたご協力いただける。でも、もし今回ご満足いただけなかったら、二度とご協力いただけない。」ということです。初期の頃はとにかくご協力下さる方が少ない訳ですから、私にとっては少しでも興味を持って下さった方にご満足いただくことに必死です。例えは悪いですが、仕事を始めたばかりのキャバクラ穣が必死にサービスするのと同じような気持ちだったかも知れません。SIVの活動費から給料も出てましたから、SIVが続かなければ自分は首になる訳で本当に必死です。

お陰さまで、年を追うごとにSIVに協力して下さる方は増えてきました。では、協力して下さる方が増えたからといってこのパラノイアがなくなったか、というとそんなことは全くありませんでした。SIVコミュニティが拡大しても、SIVの新たなチャンスを切り拓くという私の責任はいささかも軽くはなりません。むしろお世話になる方が増えるに連れて、責任は重くなる一方でした。コミュニティに拡大するに連れて、より社会の一線で活躍していらっしゃる方がご興味を持って下さるようになりました。そのような方にこのコミュニティに参画していただければ、このコミュニティは確実に発展し、より大きなチャンスを獲得することができます。でも、そのような方もSIVに来る最初に1回は様子見なんです。つまり「今回満足いただけたら次回もまたご協力いただける。でも、もし今回ご満足いただけなかったら、二度とご協力いただけない。」というシチュエーションは永久に続きました。そのプロセスを通じて対人関係にパラノイア、というattitudeが段々私の中で確立していきました。


人にご協力いただくこと
過大解釈なのかも知れませんが、私は対人関係にパラノイアというattitudeは、ビジネスにおいて、プロジェクトを責任もって遂行するために必要不可欠な能力なのではないか、と思っています。ビジネスにおいて、自分が責任を持ったプロジェクトを遂行する場合、必ず協力者が必要です。その協力者をどのように集めていくか。その際に一期一会のチャンスを逃すと、同じチャンスは二度とめぐっては来ません。必死にそのチャンスを掴むattitudeが大切だろうと思います。

ちなみに、もちろん親しい間柄での飲み会であれば、パラノイアになる必要はないと思います。でも、普段からビジネスで対人関係を大事にしている人であれば、それが身にしみていると思います。従って、必要以上に神経質になることはないのですが、相手が不満に思うようことはある程度気づくようになるはずです。しかしながら、それすら幹事としてこなすことのできない社会人も良く出会います。

断定してはいけないのですが、身内の会でそういう気づかいができない人というのは、きっと会社の中では、責任をとらなくてはならないような仕事を任されるほどの経験はまだつんでいないのかも知れないな、と思ってしまいます。

私個人としては、幹事能力の低い人が責任者となる会については参加してて心地良いものではないので、勉学に専念するために「社交性の低い人間」になることを目標としていることもあり、なるべく参加をお断りしようと思っています。

なお、もちろん、対人関係の必要のない、責任を持った仕事というのも沢山存在しますから、そういう仕事についている人はこの限りでは全くもってないと思います。

私は、人生の早い時期にこのことを学ぶことができて幸せだったな、と思っています。でも、「飲み会をしているときに、参加者全員がつまらなそうな顔をしてないかどうかを確認して常に話題を切り替える」ことや、「大規模な懇親会の場合、なるべく頻繁に立ちあがって全体を見まわし、つまらなそうな人にしている人がいないかを探し、いたらそこに移動して話かける」ことなど、参加して下さった相手に今日は参加して良かったと思う気持ちを持っていただこう、という気持ちを幹事でも運営責任者でもないのに、常に気にしてしまいます。もはや職業病という感じですね。ここまでパラノイアになることはお勧めしませんが。


SIVの終結
SIVの終結に近づいた頃に、私が対人関係にパラノイアなattitudeを持ち続けて、苦労の末に作り上げたコミュニティにおいて、私のパラノイア的観点で言えば、極めて悲惨と言わざるを得ないイベントがありました。SIVコミュニティは、18歳から70歳までのメンバーが集まり、相互に協力するコミュニティです。このようなコミュニティの発展を目的として、合宿、懇親会、研究会運営などの幹事を学生に任せています。これは上記のような、「ある目的を持ってプロジェクトを推進するときの人にご協力いただくことの重要さ・大変さ」を卒業する前に学生に気付いてもらうための言わばhidden curriculumでした。でも、この「パラノイア的に極めて悲惨と言わざるを得ないイベント」を見て、自分自身がこの部分を如何に学生に伝えることができていなかったか、ということに気づき愕然としました。

SIVの前半というのは、このコミュニティ作りを学生と一緒にやってきました。学生も始めは協力者が誰もいない状況ですから、このプロセスを通じて、上記のattitudeを自然と身につけてきました。でも、後半になってくると学生はこのコミュニティに加わったときには、このコミュニティが成立してしまっているので、それが当たり前になってしまっていたのです。それに気づいたときは、もうSIVの終結のタイミング。自分が一番死ぬほど苦労したことが伝わっていなかったと辞める直前に気付くことほど、寂しいことはありません。痛恨の一撃でした。私にはなすすべがありませんでした。最後までしつこく言い続けました。しつこく言い続けたことによって、幹事をやっていた以外の学生たちにも問題意識を感じてもらえたことに効果がなかったわけではないですが、でも結局こういうのは口でいくら言っても駄目なんです。実体験するしか。

そんなときに、SIVの最後の企画が持ち上がりました。私は諸事情あり、その企画の運営には参加できなかったのですが、メンターの方が責任者となり、社会人や学生が幹事として参加したイベントでした。ちなみにそのときの運営メンバーは大変魅力的で、私はそのイベントほど自分も運営メンバーに加わりたいと思ったイベントはSIV史上ありませんでした。さて、そのメンターの方には、そのイベントにおいて大きな目的がありました。それは学生たちにイベントの幹事とはどうあるべきかを伝えることでした。私が最後にできなくて心残りだったことを見抜いて下さって、それを実践して下さったそのメンターの方のお気持ちはうれしく、私が退任するにあたっての最大のエールであったように思います。

そのときから1年以上が経過しました。そのイベントの幹事の学生のコミットの度合は人それぞれだったのでしょうから、そのプロセスでどれだけ色々なことを感じたかも人それぞれだったんだろうと推測します。でもそのときに深くコミットしてくれた学生は、そのプロセスを通じて、今までの歴史や思いを感じてもらえたんじゃないかと思います。実際、次のフェーズに活かしてくれているところをその後も良く見かけてきました。この一連のプロセスを最後まで共有した人たちの中から多数の素晴らしい幹事が育っています。そのときに深いコミットをしてくれた学生たちとは、将来またいつか一緒に活動できたら幸せだな、と思います。こういうことを共有させていただく場は、人生において滅多にありませんから。まさに千載一遇の場だったんだなと、今振り返ると思います。