Science, Technology, and Entrepreneurship

政策研究大学院大学助教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

人間関係恐怖症を乗り越えるために -ATフィールドとヤマアラシのジレンマ


ATフィールドとヤマアラシのジレンマ
先日のブログで、私は人間関係恐怖症であると書きました。これは、素直に自分自身を振り返って事実だろうと思います。でも、人間関係恐怖症のままでは、何も動くことができなくなってしまいます。どうすれば良いのでしょうか。

少し前にある学生から、「ATフィールドをどのように乗り越えていくか教えて下さい」という質問をあるMLで受けました。ATフィールドとはエヴァンゲリオンに登場する言葉です。Aboslute Terror Fieldの略で、日本語で言えば「絶対恐怖領域」。他者との接触から自分を守るために作りだす心理的な壁を指します。ATフィールドはエヴァンゲリオン用語ですが、心理学的に言うと、「ヤマアラシのジレンマ」を理解することが本質的に重要です。

ヤマアラシのジレンマ」を説明します。ヤマアラシという動物は、体に棘が生えています。寒い冬になると、ヤマアラシ同士が体をお互いに近づけて、相互に温め合いたい。でも棘がついているので、温めるために近づこうとすれば、近づこうとするほど、お互いに棘を刺しあってしまって傷つけてしまう。

人間関係でも、こういうことって良くありますよね。お互いにもっと仲良くなりたいんだけれども、それがうまくかみ合わなくて、お互いに傷つけてしまう。これが「ヤマアラシのジレンマ」の一般的な定義です。

でも実は、心理学用語としての「ヤマアラシのジレンマ」にはもう一つの意味があります。「ヤマアラシのジレンマ」というのは、お互いに棘で刺しあうことがないように適度な距離間を保つことができるような状態のことも意味しています。大人になるプロセスの一つは、お互いに傷つけないように適度な距離感を保つことを学んでいくことでもあります。

その意味で言うと、成長過程にある純粋な若者が持つ「ヤマアラシのジレンマ」と、大人になって人と距離間を持つ手法を身につけた大人が持つ「ヤマアラシのジレンマ」の二つがあります。

さて、この用語、前者の定義だとしても後者の定義だとしても、一つだけ重要な共通項があって、それは、「他人を傷つけたくない」という大義名分を持ちつつ、本音は「自分が傷つきたくない」という気持ちから発生している行為、ということだろうと思います。さて、そのようなときにどのようにATフィールドを乗り越えていけば良いのでしょうか。


ATフィールドを乗り越える方法
ATフィールドは、「中和」する方法と「破壊」する方法が本質的にはあると思います。

中和する方法としては、これはメンターの方からお聞きしたアドバイスですが、金子郁容先生のおっしゃる「弱さの強さ-Vulnerability」を身につける、という方法があります。Vulnerableとは、傷つき易い、攻撃され易いという意味で、自分がバルネラブルであることを外部示すことが大事です。そうすると、相手も近づきやすくなってくる、ということです。

一方私は、ATフィールドを「破壊する」という方法があるように思います。「破壊」するというと言葉が悪いんですが、もう一つの方法は、相手の懐に飛び込む、ということだろうと思います。世の中で良く言われる「爺殺し」というのはこのパターンかなと思います。

私自身は比較的両方を試みてきたように思います。一般論としては「中和」が良いと思います。「破壊」するのは、言葉を変えると、相手の懐に土足で踏み込むということで、一歩間違えば、相手に対して失礼になり、大失敗につながります。私もこの失敗を沢山しています。でも、相手の懐に飛び込むことで、相手の本質的な魅力を「ぎゅっと」握りしめて学ぶことができる。そこに本質的なrespectが生まれる、という部分もあろうかと思います。

ATフィールドが発生しているとき、というのは、本質的な意味で、自分自身に自信がないときなんだろうと思います。本当に自分に自信があれば、自分の弱さを相手に見せても平気なはずだし、ATフィールドなんて本当は発生しないはず。


大人の「ヤマアラシのジレンマ」
先ほども述べた通り、「ヤマアラシのジレンマ」の二つの定義があります。若者の「成長痛」の側面もあれば、大人になると、もう一つの意味での「ヤマアラシのジレンマ」が発生します。私は本当に怖いのは後者だと思います。

私は、学生時代特有の成長痛の「ヤマアラシのジレンマ」の方が未来を作りだせるし、その気持ちを大人になっても持ち続けて欲しいな、と思っています。

社会においてイノベーションを生み出すときというのは、異質の人材が集まったdiversityの中での本質的なrespectを相互に創造していかなくてはならない。そのときに、「適度な距離感」を保つことが障害になることが多々あると思います。これからの時代、特にそのマネジメントをしていく能力が必要だし、良い意味でぶつかっていくことが大事です。

私自身、前者の意味での「ヤマアラシのジレンマ」を沢山の人と体験してきましたが、そこを乗り越えた人との関係が本当の意味で「仲間」になれたな、という感触を持っています。

大学時代に、「お前のこういうところが好きだ」言い合える友人より、「お前のこういうところが嫌いだ」と言い合える友人を沢山増やせると素敵だなと思います。そして、大人になってもそういう仲間を増やし続けていきたいな、と思います。自分の年齢も相手の年齢も関係なく。

私の生き方が正しいかどうかは自信がありません。でもこういう形も一つの生き方なのかな、と思います。