Science, Technology, and Entrepreneurship

早稲田ビジネススクール准教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

理工系学生の研究室の呪縛からの解放が、日本の未来のイノベーションに必要不可欠


はじめに
今日たまたま理工学部の学生と話す機会がありました。彼女の進路相談だったのですが、私自身、理工系の学生がどんな生活を送り、何をモチベーションにして、将来にどんな不安を感じていて、どんなことに悩んでいて、どんなキャリア展望を持っているのか、という興味を持っています。なぜならば、日本のナショナルイノベーションシステムにおいて、理工系の学生の将来への活躍は必要不可欠な要素だからです。

以前のエントリーで、

理工系で、(技術)イノベーション産業をリードする人材をもっと育てる仕組みを作っていかないといけないんですが、なぜ日本ではそれができないんでしょう。アメリカの理工系の学生と話してると、アントレプレナーシップを含めてビジネス系の授業をとってる人が沢山います。ビジネスプランコンテストの運営などの社会的活動も、工学部の学生が積極的に絡んでいます。日本の理工系の学生に聞くとそんな時間がないという。教員に聞いても学生は基礎的勉強をするので精一杯という。理工系の学生が要領悪いとも思えないし、教員の教える効率が悪いからとも思えないし。

なぜ米国の理工系の学生は、(技術)イノベーション分野に関わる時間があって、日本の学生は時間がないか、ここは一度調べてみたいテーマです。恐らく制度的課題があるのだろうと思います。


と書きました。この問題意識を探ってみたい、という興味がありました。


理工系学生のライフスタイル

以前から聞いていたことですが、理工系の学生の生活には以下のような特徴があります。

  1. 研究室に所属するようになると「コア・タイム」というものが存在する。例えば毎日10:00-18:00には研究室にいなくてはならない。
  2. 研究室活動は、教育活動の一貫なので、一切の給料は出ない。
  3. 大学で給料を稼げる場はあまり多くなく、TAをやっても時給900円程度。
  4. それでは生活費が足りない訳で、深夜のアルバイトなどを行う。
  5. 研究室の雑用をやることも多い(もちろん、ボランティア)。

これは、どこまで一般化して良いか分かりませんが、いわゆる日本のサイエンス度の高い研究室で良く見られる特徴のようです。ちなみに例えばIT系の研究室はまた違う特徴(もう少し拘束が弱い)を持っているようです。

このような生活を送る中で、外の人との接触が減り、自分のキャリアをこのままで築いていけるのか、という不安を持つ人も少なからずいるようです。


私は米国の理工系の研究室の実態を全く把握していないので、安易なことは言えませんが、この「コア・タイム」というのが制度的に「曲者」のような気がします。

もちろん、研究室の運営上、日々学生が研究室にいるからこそ、お互いに知的な刺激を交換することができることや、実験の効率があがる側面があるなどの具体的便益があることは事実だろうと思います。また学生にとっても、この型にはめられた生活や周りの仲間との連帯感に居心地の良さを感じることができる側面があろうと思います。

でも、学生の多感な時期に、研究室の呪縛に縛られてしまうことで、ビジネスやアントレプレナーシップを学ぶことはおろか、隣の研究室が何をやっているかも分からないくらい、視野の狭い人材を大量生産してしまっていることも事実です。

これは検証が不十分なので、断言はできないのですが、日米の理工系研究室での人材活用のスタイルの違いというのがあるような気がします。米国では、研究室は研究費がある程度潤沢であれば、実験助手を雇うので、仕事として教授クラスからの雑用を任せることができます。また博士や修士の学生も研究に専念できるようにある程度の給料を出しているところも少なからずあります。もっと言えば研究室が潤沢に集められない教授のところには学生が集まりません。一方で、日本の理工系の研究室においては、限られた研究資金に制約されて、封建的な師弟関係のもと、教育という名のもとに、学生に雑用をやらせることで研究室運営が成り立っている部分があるように思います。

私は、学生が雑用をやること自体は悪いことだとは思っていません。なぜならば、研究の基礎を学ぶときに、雑用をこなすことで学べることが沢山あるからです。でも、それも負担の問題で、あまりにも雑用の負担が多いとすると、その学生の将来への可能性を狭めてしまうことになります。日本の大学というのは、学生から学費をもらい、かつ学生を労働力として活用することによって、成果をあげる、という極めて特殊な「ビジネスモデル」を持っています。


未来の制度構築へ向けて
さて、では研究室の教員が学生に給料を出せばいいのか、もしくは雑用を任せられる実験助手を雇えばいいのか、と言えば、今の日本の理工系の財政状況でそれをやり出したら、研究活動自体が破たんしてしまうことは明らかでしょう。この問題には、気づいている人は沢山いる。でも誰も改革しないのは、いわば日本の大学の研究体制を崩壊させかねない「パンドラの箱」だからだろうと思います。

私自身文系ではありますが、インキュベーションの研究プロジェクトを予算の獲得から支出(自分やアシスタントの人件費まで含めて)をマネジメントを6年間やってきた経験があるので、プロジェクトの成果をあげることと、学生の育つ環境のコンフリクトの調整が如何に難しいかは良く分かります。大学教員が、この制度を変えたくない、という抵抗勢力になってしまう気持ちも良く理解できます。

でも、明らかにこの21世紀社会において、理工系人材に求められる役割が変わりました。20世紀の高度経済成長期の間は、研究室の中で閉じこもって自分の専門性をあげていくことで、イノベーションに貢献できた時代です。研究室できちんと学べば、企業に推薦で入ることができて、終身雇用に守られてそこそこの人生を送ることができました。でも今や、サイエンスが複雑化し、インターディシプナリーな視点が求められており、更にはアントレプレナーシップやイノベーションなど、研究に閉じ困らずに社会とのインタラクションを行っていく能力が求められるようになりました。その時代の変化に今の日本の理工系の研究室の体制は追いついていない。


まとめ
大学は、良い研究成果を生み出すと同時に、未来のイノベーションを担う人材の育成の場でもあります。そのような教育機関において、学生がきちんと育てるための、必要な資金が足りていない。さて、その資金源をどこから求めれば良いのか。ナショナルイノベーションシステムにおける、インセンティブ・ストラクチャの再構築が今まさに求められています。

学生も教員も共に幸せになるモデルでなくてはなりません。教員もいままで以上に成果が上がらないといけないですし、学生も研究室にこもって深いコミットをすることで専門性を学ぶ場であるべきです。でも、それと同時に学生がもっと外の世界に視野を広げることのできる余裕のある体制を作ることは絶対に大切です。

"間違っていることを正す"ことで、"make the world a better place"を実践するための、アントレプレナーシップが今求められています。がんばっていこう。