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Science, Technology, and Entrepreneurship

政策研究大学院大学助教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

「祖母の葬儀・告別式」から学んだこと


去る5月28日(金)に、経堂緑岡教会にて、松本敏之牧師の司式のもと、祖母の葬儀・告別式が行われました。

まず、はじめに祖母の逝去にあたって、大変多くの皆さまからのお気づかいや祖母への追悼の意、遺族への励ましをいただいたこと、改めて御礼申し上げます。私自身、渡米前の2年間は祖父母と同居し話す時間を増やそうと決めていたので多くのことを話す機会がありましたし、最後も意識のある間にゆっくり話すことができて、また最後の瞬間まで看取ることができて、後悔は何一つありません。こんなに後悔のない最後を過ごせたことは私にとっては本当に幸せなことでしたし、その中で覚悟を持つための時間も十分持つことができました。でも、やっぱり思い悩むときも多々あって、そんな折に、多くの皆さまからいただいたお気づかいには本当に励まされました。改めましてありがとうございます。

葬儀・告別式は、キリスト教式で、聖書の朗読、讃美歌、お祈り、牧師による式辞などが行われました。その中で私は孫として「想い出」の言葉を述べさせていただきました。

実は私自身、この「想い出」が多すぎて、どんなことを述べて良いかどうかが全く思いつかず、1週間思い悩みました。祖母とも想い出と感謝の気持ちをどのような言葉で表現すれば良いかが思いつかず、年齢も年齢なので、きちんとしたスピーチを構成しないといけない。私自身、今まで色々なスピーチをやらせていただいてきましたが、自分が今までやったスピーチの中で最も難しいスピーチでした。その葛藤の中で、途中自分自身がスピーチをまとめる自信がなかったので、別の孫にお願いできればとも思っていました。そんな中で、葬儀の前日に、最後の最後、ふとした瞬間にスピーチの表現と構成を思いついて、どうにかスピーチをまとめることができました。

祖母との思い出


孫の牧兼充でございます。私は祖母から見て長男の長男にあたります。まず、本日参列しております孫のご紹介をさせていただきます。(略)

祖母との思い出の一言ということですが、本日配らせていただいております祖母のプロフィールにある随想の中の最後の段落で、「母にあれからの事をなんと話したら」とあります。祖母の母が亡くなったのが1977年8月で、私が生まれたのが1978年1月ですので、結果的に私は祖母と「あれから」の32年間、祖母と最も濃密な時間を一緒に過ごした者の一人にあたります。

その立場から祖母のことを一言申し上げるとすれば、まさに祖母が好きな聖句や讃美歌の言葉通りの、人生を過ごした人だったように思います。家族全員から愛されて、祖母の近くにいるだけで、チャレンジする気概を持つことができて、困難に立ち向かうことへの元気が出てくる、そんな人でした。そして、祖母はそのときに、聖句を述べる以上に、自分自身の行動で示す人でした。この数カ月間、私自身も思い悩むことがあったのですが、入院中の祖母を訪ねると、本来はお見舞いにいったこちら側が励まさないといけないのですが、いつもお見舞いにいったこちら側が励まされる、というような人でした。従兄弟も皆、そんな気持ちを持っていると思います。そんな祖母に支えられて家族一人ひとりが、幸せになることができました。

祖母は今頃天国で、再開を果たした祖母の母に「あれから」の思い出話しと共に、家族一人ひとりがどれだけ幸せになったかを報告しているに違いない、と思っています。

ありがとうございました。


今回の葬儀・告別式では改めて、私が知らない祖母の一面を色々と知ることができて、多くのことを学ぶことができました。人生は、自分自身、一歩一歩できることをやっていくしかないんだけれども、自分の年齢や経験でできることは本当に微々たるものなんだ、ということを改めて学ぶ機会となりました。明日からの日々、一歩一歩、気持ち新たにがんばっていこうと思います。