Science, Technology, and Entrepreneurship

政策研究大学院大学助教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

"Don't Trust Over Thirty" +3

1月6日を持って、33歳になってしまいました。20代に仕事していた頃は、"Don't trust over thirty."といいながら、未熟ながらも若いパワーで何ができるかを必死に模索し続けた期間でした。そして早くも、30歳を迎えてから3年もたってしまいました。30代は20代とは大きく異なり、体力も昔ほどはないですし、周囲からの若いハチャメチャさの許容度も下がりますし、そして何よりも自分より若い20代の人たちをdiscourageすることがないように気をつけないといけません。

私がちょうど30歳になった直後の2008年3月に、SIV事務局長退任スピーチをしました。そのときに申し上げたことを抜粋してみます。

“Don’t trust over thirty”の先にあるもの -人を育てる能力を身につける-


この活動は、色々な意味で学生の皆さんに支えてもらいました。学生がいたからこそ、実現できたことが多数あります。でも、いざ振り返ってみると、私ができたのは、学生が育つ環境を作ることだけ。私自身が本当に学生を育てることができたのか、というと自信がありません。SIVの実体は、優秀な学生たちが SIVの環境で勝手に育ち、私の「わがまま」を聞きながらSIVを支えてくれた、ということです。もし私自身に、人を育てる能力があったとすれば、もっとこの活動を発展させることができたように思います。

SIVでは大変多くの皆様にお世話になりました。でも、本当の意味で私を育てて下さった方は、村井先生、國領先生、熊坂先生の三人だと思っています。6 年前に私がSIVを立ち上げた頃、右も左も分からない状態でした。今よりもはるかに頼りない若者でした。そんな私に村井先生、國領先生、熊坂先生は、 SIVのすべてを私に任せて下さいました。そして任せるだけではなく、この活動の防波堤になって、私の無謀な活動について、全てのリスクをとって下さいました。時に励まし、時に叱って、私が見えていない視点を常にご教授下さいました。人を育てるということを身を持って示して下さいました。私自身が、SFC でそのような恵まれたチャンスをつかめたことを幸せに感じると同時に、そのようなチャンスをぜひ後輩にも提供したいと思いながらSIVの活動をやってきました。

今の自分は6年前の自分みたいな無謀な人材を引き受けて育てる自信はありません。でも、それができるようにならないと、自分が本当に実現したいことができない、と思っています。これを実現するためには、自分の専門性を磨くこと、人格を養うこと、社会的な実績を積むこと、社会の広さ・深さを知ること、本当に多くの解決すべき課題があります。でもいつか自分も村井先生、國領先生、熊坂先生のように人を育てることのできる立派な大人になりたい、と思っています。

これらを総合的に実現しようと考えていくと、”Don’t trust over thirty”のフェーズでは学ぶことのできないことが多数含まれています。社会においてイノベーションを持続的に誘発する仕掛けを作るためには、”Don’t trust over thirty”を前提としながらも、その先にある大人にしかできない「大人の流儀」が重要であるように思います。”Don’t trust over thirty”で走り続けた20代を体験して30歳になった自分だからできる「大人の流儀」を身につけていきたいと思います。それを身につけることなしに、自分が本当に実現したいことはできない、と思っています。30歳というのは、そうした新しいステップに踏み出すちょうど良いタイミングです。


あのときから3年経って、自分自身が「大人の流儀」を身につけることが本当にできているのか。あのときの志を失っていないのか。常に自問自答しながら日々を過ごしています。一つだけ明らかなのは、自分自身がその判断をすることは不可能なので、できていないときにできていないという指摘をしてくれる人を周囲に持ち続けていられるかどうか、ということが大切だと思っています。自分自身に厳しい指摘をしてくれる人を持ち続けられるか、もっと言えば年齢を重ねるごとに増やせるかどうかが自分自身にとっての勝負です。このブログを読んで、あのときの志が達成できてない、と思った方からは是非ご連絡をいただきたいです。



ところで、今日誕生日を迎えるにあたって、本当に多くの皆様からお祝いメッセージをいただきました。電子メール、twitterfacebookなど、ソーシャルメディアの発達を改めて感じました。ところで、僕にとっての今年の誕生日はやや特別でした。もちろんアメリカで初めて迎えた誕生日というのもありますがそれ以上に自分自身の環境の変化を感じました。1年前であれば確実に「おめでとう」と言ってくれたはずの人がいなくなったということ。そして1年前であれば確実に「おめでとう」と言ってもらえることができなかった人から言ってもらえることができたこと。「誕生日おめでとう」という言葉をかけること自体は普通に考えれば何気ない一言です。でも実際にはその当たり前の一言も、様々な理由で相手に伝えられないことがあります。自分自身がその体験をして改めて考えてみると、この世界には、「誕生日おめでとう」と相手に伝えたいにも関わらず、物理的距離の問題、政治的な問題、コミュニケーションツールの問題、人間関係の問題、社会的しがらみの問題など、多種多様な理由によって、たった一言のメッセージを伝える自由すらない人が沢山いるんだ、ということに気づかされます。特にアメリカに留学していれば、同級生の中には、家族と離ればなれになっている、家族と連絡がとれない、政治的な問題で分断されている、など日本とはまた違う環境が存在しています。「お誕生日おめでとう」という言葉を受け取れることがいかに「自由の象徴」であり幸せなことであるか、ということを考えさせられる、アメリカで最初に迎えた誕生日でした。


誕生日のお祝いメッセージを下さった全ての皆様に感謝して、そしてお祝いメッセージを受け取ることができた幸せな環境に感謝して、どうもありがとうございました。


あまり良く撮れなかったのですが誕生日の日の写真も一応。