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Science, Technology, and Entrepreneurship

政策研究大学院大学助教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

「時には昔の話を」したくなるサンディエゴ生活 - サンディエゴ三田会50周年記念文集 -

サンディエゴ三田会50周年にあたって、記念文集を作ったのですが、その原稿、どんなことを書くか、とっても悩みました。実は3回くらい草稿を書き直す、ということをやっています。結果的にこんな内容に仕上がりました。

 

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サンディエゴ動物園に行ったことありますか?」と聞かれると、「30年くらい前に一度あります」と答えます。僕が最初にサンディエゴに来たのは1986年の夏。小学校3年生のときに、サンフランシスコに住む叔母が家族旅行でサンディエゴに連れて来てくれたのです。そんな訳で、サンディエゴ三田会50周年、僕とサンディエゴの出会いから数えるとその半分以上を経験してるぞ、と自負しています。30年近くって、サンディエゴ三田会メンバーの中でもかなり長い方ですよね?

僕は、高校から大学院、そしてそのままSFC助手になったので、通算15年慶應義塾に身をおいていました。慶應義塾は素晴らしいところだけど、そろそろ外の世界を知りたいと思い、米国大学の博士課程に進学することにしました。次に良く聞かれる質問は、「どうしてサンディエゴにしたんですか?」というもの。

SFC助手として、大学発ベンチャー育成プロジェクトの実働の責任者をしていました。その仕事をしている中で、世界の先進事例を探していたところ、UC San DiegoにあるCONNECTというベンチャー育成の仕組みが世界で先進的、ということを発見。しっかり学んでみたいと思って、サンディエゴを何回も訪問したし、2005年にUC San Diegoを中心にGlobal CONNECTという世界のベンチャー育成の組織をつなぐ組織が生まれて、僕もそのメンバーになったので、それ以降、Global CONNECTの関係者を中心に、サンディエゴでの人的ネットワークが広がっていったのです。そんなバックグラウンドがあったので、海外の博士課程を受験するにあたっては、UC San Diegoを勧められたし、受験前にdeanやアドバイザを紹介してもらっていたし、2010年に引っ越したときには、もう随分サンディエゴでの知り合いが多い中でのスタートでした。

 

サンディエゴでの生活は、自分の人生にとってのspringboardでした。慶應義塾で培ってきた経験をもとに、世界で戦って行けるようになりたい。そんな自分の夢が一歩ずつ今具現化しつつあるのは、サンディエゴという土地の魅力に惹かれて集まってきた「人」との「真剣な交流」があったからだと思います。福澤諭吉の言う「人間交際」をまさにこの地で実現してきたのです。

加藤登紀子の「時には昔の話を」という歌 (「紅の豚」の主題歌です)、サンディエゴで好きになりました。この歌の中に「ゆれていた時代の熱い風にふかれて体中で瞬間(とき)を感じたそうだね」、「嵐のように毎日が燃えていた息がきれるまで走った そうだね」というフレーズがあります。なぜこの歌が好きになったかというと、僕がサンディエゴに来たばかりの頃は、こちらでの過酷な生活が辛くて、半ばホームシックで、いつも慶應で必死に仕事していた頃を思い出していたんです。そんなときに、このフレーズが自分の心境にとても良く刺さって。。。ちなみにそんな心境のときに、サンディエゴ三田会の皆さんとの交流は自分にとって、安心して過ごせる居心地が良い場で、とても励まされました。感謝しています。

 

サンディエゴに来てから4年たち、このフレーズの感じ方が今やがらっと変わりました。このフレーズを今聞いて思い出すのは、慶應の頃ではなくて、サンディエゴでの生活そのものです。それだけ充実した期間をサンディエゴで送ったということです。ところで、僕がサンディエゴの人たちと交流していて、いつも「素敵だな」と思うのは、みんな真剣に自分の人生を生きていて、そしてみんなサンディエゴでの生活をとっても大事にしている、ということです。そんな「人間交際」が基盤となって、自分の人生にとってかけがえのない「思い出」が紡がれていくのだと思います。

サンディエゴ三田会50周年、周年行事に携われるというのは、自分の人生の中に時を刻めるという意味で、とても幸運な巡り合わせです。サンディエゴ三田会75周年、100周年(生きてるかな?)のときには、みんなで「時には昔の話を」する約束をしましょう。

 

 

ところでこの文集を読んでいて、サンディエゴ三田会の最大の功労者である宮井さんが、どれだけ、慶應義塾大学医学部の後輩を育ててきた大きな存在だったか、ということが良く分かりました。宮井さんと末松医学部長のやりとり、とっても素晴らしいな、と思いました。僕も宮井さんみたいに後輩を育てられる人になりたい、と思いました。