Science, Technology, and Entrepreneurship

早稲田ビジネススクール准教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

「最近、以前より元気になったね」と良く言われます -SIVで背負っていたもの-

はじめに

最近事あるごとに、色々な方々から「最近、以前より元気になったね」と言われます。自分ではそこまで元気になったことを意識している訳ではないんですが、冷静に考えて、3月31日まで背負っていたものがなくなった、というのはやはり開放感が大きいものです。でも、私が何を背負っていて、何に苦労していたか、ということはほとんどの人に伝わっていないのではないか、というご指摘をいただいたので、これを機にブログにまとめておこうと思います。

私がSIVを背負っていたときに苦労していたものは、大きく分けて「資金を稼ぐこと」と「コミュニティのマネージをすること」の2点です。それぞれの苦労を詳しく書いてみようと思います。

「資金を稼ぐこと」

SIVの予算は大学本体の予算とは完全独立で、すべての活動について、独自に外部資金を獲得しながら活動していました。SIVに携わっていた人ですら知らない人もいると思いますが、私自身の人件費も含めて、SIVに携わる人員の人件費はすべて外部資金から支出されていました。ちなみに外部資金というのは、企業からの研究費や寄付金だったり、コンソーシアムの会費だったり、国からの補助金だったりを指します。

SIVは、文系の研究プロジェクトとしては、経費のかかるプロジェクトでした。人件費だけでも年間1000万円近くかかりますし、SFC-IVの賃料だけでも年間360万円かかるし、海外に学生を連れていくのも年間数百万にはなっていました。最後の方は年間3000万円くらいはないと、まわらないプロジェクトでした。

もちろん慶應ブランドがあるし、國領先生が代表をして下さっているし、SIV自体が外部財源を稼ぎやすいポジションであったことは間違いありません。でも、最終的に資金を出してもらうためには、具体的なバリューを相手に提供し続けなくてはならない訳で、それは決して楽なことではありません。資金が集まらなければ活動を縮小しなくてはならないし、事務局員のレイオフしないといけないし、もっといえば自分自身も首になる。そのプレッシャーの中で、活動していました。人を雇って、活動を継続するための資金を集める責任を背負うというのは正直大変です。SIVは國領先生がSFCに移籍する前から私が携わっていた活動ですし、國領先生に途中から代表になっていただいた後も、私としては國領先生にかけるご迷惑が少しでも減るようにと考えていました。学内調整など私の力ではどうにもならないことは國領先生にご迷惑をおかけしてしまうのは仕方がないと思っていましたが、自分のやりたいことを実現するための資金を稼ぐことは、自分の努力次第でどうにでもなるものです。自分が努力したらどうにかなることで國領先生にご迷惑をおかけすることは絶対にしたくない。その方針でやっていたら、結局6年間資金については國領先生に頼ることなく、どうにか継続することができました。慶應ブランドというのも、慶應義塾は、「慶應義塾のブランドに依存するのではなく、慶應ブランドを高める行動」が求められる場です。慶應ブランドを高める活動をしながら、資金を稼ぐ、というプレッシャーも大きなものでした。

SIVの年間3000万円の収益責任は事実上私が背負っていました。後半は特別研究教員が増えたので、田中さん、森さん、樺澤さんにコンソーシアムの会員獲得にご協力いただいて、少し分散性が上がったけども、依然として私が大部分の責任を背負っていました。

ところで、学生の人たちの間では、教員として給料をもらってるんだから、学生の面倒を見るのは当たり前、と思っていた人が少なからずいたように思います。でも、私の立場は特別研究教員だったので、学生の授業料からは給料は全く出ていない。すべて企業の研究費からの給与です。私のミッションは、その研究活動を遂行することです。SIVSGを担当することも、本来は業務としてのオブリゲーションではないし、これを担当することで、給料が増えたり、手当が増えたりということは一切ありませんでした。SIVの発展のためには、学生と共同で一緒に活動する場が重要で、そのためにSIVSGを担当していた、ということです。授業はオブリゲーションではない。でも、SIVのミッションを遂行するために必要だと信じていただかこそ、ボランティアでやっていたのです。

自分自身の給料は自分で稼ぐ。実績を出すことができなければ次の年、自分の今のポジションは継続できない。このプレッシャーは本当に大きいものでした。でも、だからこそ、死ぬ気でがんばることができたし、リスクをとっている起業家の人とも対等にcompassionを持ってコミュニケーションをとることができたんですよね。

コミュニティのマネージをすること

SIVをはじめたときは、実動としては私一人だけ、という状況でした。それが年を追うごとに、携わって下さる方がどんどん増えて、最後の方は100人を超える方のマネージメントをしていました。コミュニティの拡大は大変幸せなことである一方、私の負担が指数関数的に増えたことも確かです。恐らく、中小企業の社長くらいのマネジメントの負担はあったように思います。

SIVは、下は18歳の学生から上は70歳前後のメンターの方まで、半世紀も年齢差のある人たちが同居するコミュニティです。メンターの皆様も社会的実績を持っていらっしゃる方ばかり。世代の差、そしてある種の船頭の多い中、理念を示し、求心力を保っていく、ここは決して楽なことではありません。

ところで、SIV自体は良くも悪くも、色々なことを私が独断的に決めることの多い組織でした。私が収益責任を負って、外から予算を引っ張ってくるということは、その相手のニーズを満たさなくてはならない。大部分の外部組織との関係を私が一手に持っていた以上、私が独断的に判断しないといけないことが増える、というのは必然でした。私が独断的に判断している組織体制については、意見が二分されていて賛否両論だったように思います。ただ今思うと面白いのが、このやり方を尊重してくれたのは、今現在もしくは過去に収益責任を背負う立場を負った経験を持っている人たち。意義を唱えるのは自分自身が収益責任を負ったことのない人たち。というような傾向があったように感じています。自分自身が収益責任を背負う立場に立ったことのある人は、こういう構造になってしまうことの必然性を理解しやすいのでしょうし、こういった責任を背負う苦労をした人は他の人の苦労も分かるので尊重するようになる、ということなのかな、と思います。でも、そもそもインキュベーションというのは、収益責任を持っている人材を育てていくことなので、この感覚を持っていることは、私はやはり必要条件だと思いますし、もっといえばこの感覚を持っている人が集まる場にしないと、ぬるま湯になってしまう、という気がします。この厳しさをどう保っていくかは難しい問題でした。

私がSIVを6年間マネージすることができたのは、この「収益責任を背負う立場の人の意見を尊重する」ということへの理解のある方が、たくさんいたこと、という気がします。

まとめ

私自身、このような経験を20代でできたこと、幸せに思っています。色々と学ぶことが多い6年間でした。でも、この負担がいかに大きいかは、後任の廣川さんの白髪を見ると良く分かりますよね。