Science, Technology, and Entrepreneurship

早稲田ビジネススクール准教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

 「産学連携 「中央研究所の時代」を超えて」


最近、研究に関する文献をいろいろと読んできています。勉強会で私の研究に関連する文献の輪読を行っていますが、レジュメを作成してますので、せっかくなのでそれらのレジュメをuploadしておこうと思います(自分の備忘録と後の検索の効率化のためも含む)。

この「産学連携「中央研究所の時代」を超えて」は、日本の産学連携とイノベーション施策に関する課題の基本的な考え方を提供しています。日本の産学連携がある面では、米国より進んでいたことが分かり、日米比較を行う基礎資料として極めて有益です。

著者の西村先生とは以前ベンチャー学会でお会いしてご挨拶させていただいたので、いつか研究のご相談にお伺いしたいと思っています。


産学連携―「中央研究所の時代」を超えて

産学連携―「中央研究所の時代」を超えて


以前に勉強会でまとめたレジュメをご紹介します。

「産学連携 「中央研究所の時代」を超えて」、西村吉雄著


「産業的・経済的な観点からの研究開発のあり方」をテーマとしている。中央研究所の時代から産学連携の時代へ、研究開発に関する時代の展開が起きている。新産業を生み出し、新しい雇用を創出するのは、大学、大学の研究に基づくベンチャー企業、そして起業家である、という期待が世界中で高まっている。

シュムペーターは、新結合の遂行が利潤を生み出し、経済を発展させる。利潤を生み出すには二つの価値体系の差異が必要であり、未来の価値体系と現在の価値体系のあいだの差異を生み出すことが研究開発の意義である。

シュムペーターは、イノベーションを生み出すためには、新たな結合を生み出すことが重要であるとしている。この新結合を遂行するのが企業家である。

資本主義の発展に対応して、新結合の担い手が企業家から大企業に移った。大企業の研究開発の中核を担うのが中央研究所である。中央研究所は一つの企業に垂直統合された社内組織である。中央研究所でシーズを生み、それを社内で開発して製品に仕上げ、同じ会社が生産・販売する。研究、開発、生産、販売という一連の流れが、すべて一つの会社のなかで行われる。この中央研究所は、研究、開発、生産、販売のプロセスを時系列に行う、リニア・モデルを前提としている。

中央研究所の時代の主要製品は工業製品だった。ところが最近の研究開発は、様々な要素技術が複雑に組み合わされている。こういったシステム技術の代表がIT産業であり、産業分野横断的な特性を持つ。IT産業に内在する技術的性格は、次第にリニア・モデルを無効にする方向へ向かい、中央研究所を終焉に向かわせた。更にITは、連携・協力のためのインフラストラクチャとして機能するようになり、何でも社内で実現しようとする自前主義より、他の組織と連携しながら仕事を進める方が効率的になった。

IT分野の産業構造の変化は、垂直統合型からオープン化した多層水平展開市場となっている。この結果、1)1社だけではエンド・ユーザに何も提供できない 2)大企業の意味が小さくなる 3)社外との情報交換の役割が大きい などの影響を及ぼす。その結果、研究・開発といった役割は大学やベンチャー企業の役割が重要となる。産学連携は、企業から見れば、研究機能の外部化・アウトソーシングということである。

「自前主義から連携・協力へ」という流れの中で、大学の役割が大きく変化する。伝統的な教育・研究に加えて、新産業や新雇用の創出を大学が担うようになった。しかしながら、大学は産業活動・経済活動の主体ではない。大学が産業や経済に寄与するとしたら、当然、産業界との連携・協力が必要になる。連携・協力の時代に、大学のようなオープンの機構の果たす役割は大きい。オープンな機構をプラットフォームとして、目的や価値観の異なる組織・人の交流がはかれる、ということは産業界にも大きなメリットをもたらす。

1970年代後半から欧米におこった大学革命の波が日本に及ぶのは遅かった。日本では、1980年代の後半から大企業が自ら基礎研究を担うようになった。しかしながらバブル崩壊とともに、大企業の基礎研究ブームも終焉へと向かい、産学連携の再構築と大学改革が始まった。しかしながら、日本は明治時代に国立大学が産業界に人材を送り出してきた。日本は19世紀末に、産学官いずれにおいても、学士号を持った技術者が仕事をしており、この状況は当時の欧米では考えられなかった。また第二次大戦後も、「大学の供給する理工系卒業生を産業界は必要とするが、大学の研究には関心が薄い」日本企業は、主だった大学の有力教授に、「奨学寄付金」を広くばらまくことで、独自の産学連携を発展させてきた。

日本においては、中小企業・ベンチャー企業が産学連携に積極的であり、大企業は日本の大学への関心が薄い。日本の大学との共同研究のやりづらさは、共同研究を行うときのスタイルの違いによるところが大きい。例えば米国では、大学教授が企業に対して、積極的に共同研究の売り込みを行う。日本の大学院の博士課程は、日本では研究者の養成の場であり、産業や経済への関心が薄い。そのため米国の大学に比べて、産学官の人材の流動性が低くなる。また日本の大学では大学院生に研究の報酬を支給していない。経済的に豊かかつ会社には行きたくない、という人材が博士課程に集まる傾向が高まる。