Science, Technology, and Entrepreneurship

早稲田ビジネススクール准教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

AO入試情報サイトのインタビュー (転載)


数年前に、SFC AO入試の情報サイトのインタビューにご協力したのですが、そのインタビューのサイトが消えてしまったようなので、内容をこのブログに転載しておこうと思います。
(http://omu-ao.sakura.ne.jp/interview/kyoju/maki.html がオリジナル)

・SFC高校に入られた経緯を教えてください。

小5から中3までイタリアに住んでいたんですけど、家族に慶應出身者が多いというのもあって漠然と慶應は受検したいなと感じていました。中でも、SFCの中高は、開校2年目で「新しい学校って面白いな」と思ったのがSFC選んだ一つ目の理由です。さらに、SFC中高は情報と英語に力を入れているというのを聞いて、もともと自分はITに興味があったので、それで入りたいなっていうのが二つ目の理由です。塾高は第二希望でしたが、落ちました(笑)。今現在は分かりませんが、当時のSFC中高はITの環境整備が相当充実していて、今だと当たり前なんですけど、40台のパソコンが並ぶ部屋が二部屋あって、放課後はそこを自由に開放していて、図書館にも自由に使えるパソコンがありました。さらに大学の方からいらなくなったUnixベースのワークステーションをもらいうけて、Unixを使った授業を当時から展開していました。93年にしてはそういう高校はすごく珍しかったと思います。


・その他、大学の附属校として魅力的な特徴を教えてください。

ちなみに、慶應義塾は附属校という言葉を使わない学塾で、その言葉に抵抗にあります。慶應義塾というのは、幼稚舎から大学までそれぞれが対等な一つ一つの学校で、それが全体として慶應義塾を構成している。他の大学は完全な附属校が多いと思いますが。それで、一貫教育校の魅力については、間違いなく受験勉強をしなくても良いというのは大きくて、自分の好きなことに高校3年間自由に使える、まずそこです。
SFC高校では、3年生の文系では「自由研究」という卒業論文があって、それは自分のやりたいことを見つけられる良いきっかけでした。また高校3年生のときに、全員校長先生の面接があって、一人一人、何故その学部を志望するのかを聞かれるんです。高校トータルの評価は、高1の成績1割、高2の成績2割、高3の成績3割、実力試験の成績3割、そして残りの1割が課外活動と言われていたんですけど、進学先は結局校長先生が決めるので、その面接できちんと自分の志望理由を説得できなくてはいけない。

このようなプロセスを通じて、自分がやりたいことを見つけるような仕掛けが用意されています。


・塾高出身の人は要領がいいという噂もありますが、実際のところどうなのでしょうか?

少なくとも内部進学者は大学に入った時に友達が多いので、ノートのコピーをしてもらう楽さはすごくありますよね(笑)。そういった意味で要領は良いと思いますが、高校時代もそうだったかというと多分違うと思います。ただ、内部の人は受検がない分、学期末試験の勉強しかしなくてよくて、それさえ乗り切れば、進級できる。だから教員ごとに対策を立てて、要領良く勉強する人も多い。その意味では、内部進学者が段々要領の良さを身に付けいることも事実かも知れません。


・一般入試を受ける人の中には、内部進学者に対するマイナスのイメージ、偏見があると思うのですが、そういったイメージ、偏見に対してどう思われますか?

一部分に対してはその通りかもしれません。ただ一方で、高校時代に好きなことをやっていて、夢を描き、大学でも勉強している人が内部進学者に多くいることも事実ですよね。慶應の内部進学者は差がひらきやすくて、成績の最下位は幼稚舎(慶應義塾の小学校)出身だけれども、トップも幼稚舎出身と良く言われます。慶應は好きなことを追求しようという風潮が強くて、好きなことを見つけた人は邁進するけれども、そうでない人は受験勉強もないので遊んでばかりになります。独立自尊の精神で、自分を律しながらやっていかなければなりません。ちなみに、その意味ではSFC高校は慶應の中でも、良くも悪くも面倒見がよい方でした。

石川元塾長が言っておられたんですけど、慶應義塾大学は全学生の20%を内部進学者にするという方針を持っていて、SFCができた時も、20%を維持するためにSFC中高等の新設高校ができました。それはやはり慶應のカルチャーを内部から上がってきた人が、外から来た人に伝えていくといった意味があると思います。


・150年もたつと独立自尊などの福沢精神がさすがに薄れてくるのに対して、どう維持していくか?ということが先日雑誌で取り上げられていたのですが、どう思われますか?

当然福沢諭吉が生きていて、直接授業を受けていた時代に比べると、薄れていると言えますが、亡くなられた以降のことを考えると、この100年で下がったとは思いません。大隈重信(早稲田大学創立者)と福澤諭吉の決定的な違いは、福沢諭吉は本をたくさん書いた人で、自分のメッセージをたくさん残している。そうすると慶應の人は亡くなった福澤のメッセージにたくさん触れる機会がある、それが福澤精神を維持できている理由であると思います。福澤精神って変わってはいけないところと、時代に合わせて最適化していった方がいいところがあって、慶應は50年周期に一度新しいキャンパスをつくって革命をしていると思うんです。築地鉄砲洲、芝新銭座を経て三田キャンパスが開校。その後創立75年に年日吉キャンパス、そして創立125年でSFCといったように。「福澤精神の原点に戻ろう?」と思った人が、地理的に離れた場所に、新しいキャンパスを創るということを2回やっているわけです。既存の学部を否定してでも新しいことをやろうとする遺伝子を組織としてもっている慶應義塾というのはやっぱりすごくて、やはり福澤精神は忘れさられていないんだと思います。


・今から考えて高校時代に知っておいたらよかったことはありますか?

自分の職業は学者のようなものなので、数学や統計はもっと勉強しておけばと思います。学校の勉強って何に役に立つか分からない中でとりあえずやるんだけれども、意外に先々役に立つんですよね。英語もそう。アメリカ人はシェイクスピアを当然のように読んでいるのに対し、僕たちは読んでいない。SFC高校では英語の授業で、シェイクスピアを原文で読むということもやっていたんですけど、もう少しまじめにやっていれば、大人になったときにアメリカ人との会話でもっと深い会話ができたかな、と思うところがあります。
後は、自分は大学の学部としてSFCに進学すると決めていたんですけど、どうしてあの時アメリカの大学を考えなかったのか問いかけてみたいですね。というのは、日本人の高校生って基本的に日本の大学を目指しますよね?でも例えば中国の高校生に聞くと、「私アメリカの大学受験します」と言っていたりする。シンガポールもそう、韓国もそう。自分の母国ではない大学を受験するというのが、特にエリート層は自然に言うんだけれども、日本にはそれがないのが不思議です。


・SFCに進学された理由を教えてください。

小5くらいからコンピューターが好きで、中3の時も結局ITに興味があってSFC高校に進学したので、そのまま環境情報学部に進学しました。


・内部からSFCに進学する人の特徴はありますか?

慶應義塾には5つの高校があって、それぞれからSFCに来る人の傾向は違うと思います。たとえば慶應志木高校は関東圏の反対側にあって、そういった人がSFCに来るのは住んでる場所との距離を考えても、地方の人が東京に出るくらいになってくるので、よっぽどやりたいことがある人ではないと来ないと思います。女子高の人って真面目で賢くて、これは確かではないのですが、5,6年前の統計で、各進学元からの大学の成績統計をとってみると、慶應女子高がトップで、次がAO、その次にSFC高校と続き、下の方に塾高と一般入試だったということを聞いた記憶があります。


・牧さんは1年生からどういった研究をされてこられましたか?

高校三年生の頃、自分のやりたいことはコンピュータの中でもインターネットだと思い始めていて、その当時村井さんが出してた岩波新書の「インターネット」という本を読んで、「こういう先生がいるんだ、入るなら村井研だな」と思いました。入学してすぐに村井さんに「村井研に入りたいんです」とメールをしたら、「この日にこういった会があるから来てみて」と言われたので行きました。するとあまりにレベルが高くて「これは無理だな」とその時は思って入るのやめてしまったんです。普通の大学生になるのが嫌だったので、サークルには入りませんでした。

けれども結局何をやるにしても誰も初めは知識がないんだから、それなら今からやろうと考えなおして1年秋から村井研に入りました。当時カリキュラム上は研究会は3年生からしか履修できない制度でしたが、聴講という形で、入れてもらえました。
 
私の興味は高校時代の校長先生の面接のときから一貫して、「インターネットが社会をどのように変えていくのか」というものでした。村井研は技術開発がメインの研究会だったので私のようなテーマは異端でした。ただ村井さんは私のようなテーマも受け入れて下さったので、色々な活動を行っていました。


・SFCの院へ進まれた理由を教えて下さい。

私は大学入学と同時に修士に行こうと思っていました。高校1年のときにすでに志望学部はSFCであったことと同じで、基本的に進路の意思決定を決めるのは早いんです。SFCに入学して、SFCって可能性があって面白いところだな、面白い人がたくさんいるなと思って、ここで自分がやりたいことを実現させるには4年間ではなく6年必要だなと感じたのが直接の理由です。また修士が終わるころには大学に残ってほしいと言われるような存在になりたいとも思っていました。


・学部生の当時SFCがもっとこうなったらいいなと思った部分はありましたか?

大学2、3年の時に、SFCの問題点を改善していくといったプロジェクトをやったこともありました。たとえば当時感じたのは食環境がひどさです。Subwayやダブリエもなく、コンビニも夜は閉まってしまう。残留するとカップラーメンだけしかない状況でした。他にも「色々な教員がいる中でなぜこの人が学部長をやっているんだろう?」という疑問も持ったこともあり、SFCにこれだけの多様な人材がいる中で、どうして学部長投票の選挙権が学生にないのか不思議でした。また、SFCがAを2割しかつけてはいけないルール、これはAを乱発して教員が人気取りに走らないための良いルールでもあるのですが、例えば今回の自分の授業「アントレプレナー概論2」では4割ぐらいにAをつけたいのにつけられないという状況があります。つまりきちんと授業をやる教員からすると良くないシステムです。教員はさぼるものである、という性悪説なシステムで、それはSFCに相応しくないと思ったので、それを変えたいなとも思いました。


SIVを立ち上げられた経緯を教えてください。

ビジネスって怪しい大人がうさんくさいことをやっているイメージがあって、学部時代僕はずっとビジネスは大嫌いでした。だからビジネスモデル構築する授業を担当していながら、学生時代はビジネス系の授業を履修したことは一度もありません。SFCでの最も長い恩師は村井さんなのですが、鈴木寛さんという現在参議院議員になられた方の研究室にも出入りしていて、彼と一緒にプロジェクトを行っているうちに、松本さんというサンマイクロシステムズやシスコシステムズというシリコンバレーで有名なベンチャーの日本法人のたちあげ時に社長をされていた人に会って、その人の話を聞いているとビジネスに対するうさんくささが消えていきました。興味をもつ時って不思議で、自分の尊敬している人の興味をいつのまにか自分ももってしまうという部分があります。それがビジネスに興味をもった時でした。
 
インターネットと社会というテーマを追い求めていた中で、ビジネスというキーワードが入った時、「SFCは色々な技術が開発されているのにそれをどうしてビジネスにつなげていないのだろう?」と感じました。村井さんや松本さんもそういったことを感じていて、一緒にやり始めたのがSFC Incubation Village(SIV)プロジェクトです。その後、慶應ビジネススクールにいた國領さんにも一緒にやりませんかとお願いして、2年目から参加していただきました。やっていくうちに、キャンパスに建物がないといけないなと感じ始めて、でも大学にそんな予算はないよな・・・と思っていたのですが、たまたまそのとき、国の制度の中で、「地域振興整備公団」というものが大学のインキュベーションにお金を出すということをやっているという情報を仕入れて、それにアプライしよう、となりました。結局、申請も通り、建物であるSFC-IVがたちました。申請前からしっかりとしたコミュニティ、SFC-IVに入居したいといった企業もあったので、そこがうまくSFC-IVをスタートできた理由だと思います。ただ、ハコだけあってもインキュベーションはできず、ベンチャーは生まれない、それだけでは足りなくて、もっとシーズを見つけてビジネスプランを作ったり、やりたいことがある学生を後押しする授業をしたりするなど大学の中でも仕組みをつくっていかなければならず、SIVは大学引き続き、SFC内外で活動してきました。4年目くらいの時、それまでもSFCの活動に協力して下さっていた大日本印刷の方とお会いしたとき、「もっとSFCに協力していきたいがどうすればいいか?」という話をいただいたので、、それならば寄付講座として先に述べたような授業を開きたいとお願いして、アントレプレナー概論の授業は誕生しました。


・学生時代や今、AO入試での合格者に対してどういったイメージがありましたか?ありますか?

学生時代に感じたことは、やっぱり自分のテーマを何らかの形でもっている、さらに何らかの形でアクションしている人が多いですよね。ただ、今は感じないんだけれども、学生時代はAO入試合格者は「選民思想」、つまり自分たちは選ばれて入ったんだぞ、というおごりがあるようにも感じていました。自分のできることを、自己推薦して合格したんだから自信持つのは当たり前なんだけど、自分たちは選ばれたのだから凄い、特別なんだぞという過剰な自信は違うんじゃないかなと思います。でも教員になってからは、そもそもそういった学生がいなくなったのかもしれませんが、それをあまり感じません。


・日本の今の入試制度に関してどう思われますか?

理想論は全ての大学がAO入試だけになることだと基本的には思います。もちろんAO入試の中で判断する基準が違っていても、たとえば高校の成績がすごくよくなければいけないだとか、TOEFLで満点とらなければならないだとか、そういった違い・多様性はあった方が良いと思います。ただ、現実的に考えて、社会全体の仕組みを大きく一度に変えないと何もも変わらないですよね。国のイニシアティブでこういうことは可能なのかも疑問です。


・現在AO入試の定員は半分までと決まってしまっていますよね。

基本的に文部科学省は真面目に勉強した人しか入っていないからそういう発想になるんでしょうね。一部の大学が全てAOにしても、他の大学を受験するためには結局受検勉強が必要になってしまう。例えば、トップ大学だけは連合してすべてAO入試だけにする、みたいな連携ができると良いかも知れないですね。

私は入試に携わっていないし、AO入試を受けたこともないので、そういった立場で思うこと、という前提で感じていることがあります。SFCのAO入試が外に誤解されているなということでずっと感じるのが「高校時代の実績を示すための入試」「一芸入試」という考えで、本来SFC のAO入試のあるべき姿は「こういったことがSFCでやりたくて、こういった夢がある」ということを語れる、さらに高校時代に行動を起こしてきている人を合格させるということではないのかなと思います。


AO入試の面接官、審査官としてあるべき心構えってどういったものでしょうか?

自分は携わっていないので、これもあくまで無責任な意見なのですが、面接した時に、面接官3人が3人ともいいなと思った人は落とした方が良いのではないでしょうか?皆が良いと言う人なんて、とがっていなくて、1人が強烈に良い!と感じる人をとるような制度の方が面白い気がします。個々の心構えで言うと、どうしても教員って自分の専門分野に関わる人をいれたがるので、自分の専門分野に近い人に関しては評価から辞退するくらいでいいと思います。ただ、専門家でなければどれだけ生徒が本気でやりたがっているか分からないという部分もあると思いますが。


・牧さんがSFCの AO生に期待すること、求めることを教えてください。

志の高さと行動力でリーダーシップをとって、周りの一般受験生にマインドを変えていく原動力になっていってほしいと思います。ただ全く同じ期待が塾内進学者にもあって、入試がない分、夢くらい語らなければならないと感じます。


・講師として大切にしてきたことを教えてください。

授業の最後のスライドでいった言葉ですが、「この授業は勉強になりました」と感じてくれたら松竹梅でいう梅、「この授業をきっかけにもっと勉強したくなりました」と感じてくれたら松なんだと思います。私は教育や講義という言葉が嫌いで、授業って単なるインプットではなく、教員が刺激やきっかけをつくって学生がもっているポテンシャルや興味を引き出すきっかけの場だと思っているんです。もちろん知識的なインプットも必要ですが、それは目的ではなく手段ですよね。ただ分野にもよって、どうしても経済学基礎や数学基礎などの基礎科目ではインプットに偏るのは仕方ないとは思うのですが、でもそういう授業でも、できれば先に述べたようなスタンスでやっていってほしいと思います。


・現在の日本の大学に関してどう思われますか?

大学全体でいうと、他の国と同じように研究レベルの格差はあると思います。研究者の能力とともに、研究資金の分配の問題もあるのですが、レベルの高い大学はレベルが高いし、そこそこなところはそこそこ。研究レベルとしては世界の大学と比べても、同等じレベルだとは思います。一方で、教育という側面でいうと、一般論として教えるのが下手な教員、研究の片手間にやっている人が多いですよね。教育のメソドロジーがあまり確立されていないような気がします。これは大学にもよって違って、SFCは良い線言ってる方だと思いますが。


・SFCがもっとこうなっていったらという部分を教えてください。

今計画されている未来創造塾(SFCの寮)は楽しみですよね。24時間キャンパスと言いつつそうではなかったのがSFCの実態で、全人格的に色々な刺激を受ける機会があるのは良いと思います。寝食をともにすることで今まで付き合わなかったような人と付き合うようにもなりますし。けれどもただ寮をつくるのではなく、例えばケンブリッジ大学はカレッジ、教授から学生まで一緒に住む学生寮から構成されていて、カレッジごとにカルチャーが全然違うんです。ベンチャー起業家が育つカレッジやノーベル賞をとる人が多いカレッジなど。SFCの寮もそのような制度をとって、それぞれの寮が競争するといいなと思うんです。

他には、SFCらしいという言葉を使うのは禁止にしてほしいと思います。SFCらしいという言葉は過去にすがっていて、これは2代目の総合政策学長の井関先生の言葉なのですが、「Being SFCでななくBecoming SFCであるべき」、つまり「SFCとは何か?」と問い続けてほしいけれども、「SFCとはこういうものだ。」とは言ってほしくない。初期の人は絶えずSFCとは何かと問い続けてきた、それに対してSFCらしいという人は初期の人がつくったものにすがっています。そういう遺伝子をSFCは求めているのではないですよね。


・これから受験に向かう受験生へのメッセ―ジをお願いします。

先ほどの繰り返しになりますが、皆さん日本の大学だけを受験しようとしていませんか?と聞いてみたいですね。世界は広くて、あなたにとって最もいい大学が日本にあるとは限りません。もっと広い視野で、世界の大学への受験を考えてほしいです。もちろん、世界の中で最も素晴らしい選択の一つがSFCであることも事実だと思います。

SFCのAO入試を受ける人は、過去の実績は過去の実績として、その経験に基づいて今後の夢をどう語っていけるかが大事だと思うので、頑張ってください。この経験は受かるか受からないかは別として、自分の過去の実績をまとめ、それをどう生かしていけるかを考えるというプロセス自体が、今後自分がどういう人生を生きていきたいかを考える上でプラスになります。