Advancement to the Candidacy -真剣に戦っている人の品格-
1. 2年間を振り返って
おかげ様をもちまして、2012年9月20日付けで、博士候補となることが大学学事より承認されました。
渡米してから2年間、無我夢中で突っ走ってきました。今までとは違うディシプリンでのコースワークで、授業始まって最初に1週間で日本に帰りたい、と思ったこともありました。最初の学期は、右も左も分からない中で、プールで言えば向こう岸まではついたけれども、泳いでいったのではなく、濁流に流されて溺れながら向こう岸についた、というような心境でした。最初の頃は、いつkick outされるか分からない恐怖との戦いで、いくらがんばっても満足の行く成績がとれず、体調崩して1ヶ月近く熱が下がらなかったこともあり、本当に死ぬ思いでした。手がしびれて動かなくなったり、日々の緊張で、笑顔が作れなくなった(これは文字通り、顔の筋肉が動かなかった。。。)ときもありました。
日本からの奨学金は、1年分の学費と最大3年分の生活費ということで、こちらで稼ぐ道をつかむことができなければ、資金的にショートするので強制帰国。1年目の最後の学期からTeaching Assistant(TA)をやる機会を得たものの、TAの学生からの評価制度も厳しく、評判が悪ければ首になってしまう、という恐怖がありました。
そんな状況も2年目の中盤くらいから変わりました。成績は自分でも満足行くものがとれるようになり、授業で扱われていることをフルに吸収し、自分の研究に役立てるための基礎知識を得ていることを実感として持てるようになりました。研究をする上での基礎知識が十分ついたことを示す機会が増えて、成績が良くなったこともあって、2年目の最後に、qualifying / field exam を受けることとなりました。でも、この試験も、どんな内容になるかは最後まで分からず、この試験が通らなければ、kick outの可能性も十分あるので、日々ドキドキしながら、毎日を過ごしていました。
2年目の夏の中盤に試験の出題者が決定し、試験対策の内容が発表されました。それからも必死の毎日でした。出題範囲の内容的に、集中力がないと理解できないものばかり。週に1日くらいはリラックスして遊ぶ日を入れながら、オフィスに閉じこもって勉強していました。世界で一番素晴らしい気候のサンディエゴの夏を全く実感できないまま、時間が過ぎ去っていきました。そして試験3週間くらい前に、感染症にかかっていることが発覚。試験範囲はある程度はカバーしてからだったものの、どこまで準備すれば試験対策として十分かも分からず、恐怖の中で、寝込みながら(めまいが酷くて、とても勉強できる状況ではなかった)、医師の診断のもと、自然治癒を待ちました。試験1週間くらい前には感染症からも完全快復し、試験範囲は大体カバーできたのですが、試験問題に関連するこの2年間のコースワークを復習する良い機会と思い、関連する教科書を読み返したりすることにあてました。
Qualifying / field examは、金曜日の正午に問題が渡されて、月曜の正午までの3日間。3人の出題者からの問題をとかないといけないのですが、どれも深く考えて解かないといけないものばかり。朝から晩まで問題と格闘していました。今までの人生で最もストレスフルな3日間でした。
おかげ様でqualifying / field examは合格をいただいた訳ですが、振り返ってみると、この問題を2年前に見たとしたら、問題の意味すら理解できなかったように思います。その意味では自分の成長を実感する良い機会でもありました。でも、このqualifying / field examというのは良くできていて、コースワークの2年間から研究フェーズへ移行するためのいわばspringboardとして、研究的思考力を養う場となっていました。実際に、そのプロセスを経験してみて、自分のこれから先に広がる分野が一気に見渡せるようになったことで、今までの2年間は本当に本当に大変でしたが、いざこのマイルストーンを乗り越えてみると、本当に小さな一歩だったように感じ、これから自分が成長していかないといけない、伸びしろが一気にみえたように思います。気を改めて引き締めて次のステップを歩んで行こうと思います。
ちなみに、博士課程の同期4人の中でこの2年目終了のタイミングでcandidateになったのは僕一人のようです。それぞれ違うグループの所属で、candidateになるプロセスやrequirementも違いますから、自分が特別に出来が良かったという証拠には全くならないのですが、でも一応博士課程が順調に進んでいるという証拠にはなるように思っています。
2. 真剣に戦っている人の品格
この2年間、本当に精神的に辛い日々でした。でも、そんなときにどう振る舞うか、ということには品位が必要のように思います。日々辛そうに周りから見えてしまっては、色々なチャンスが逃げていってしまう。日々自分は大変なんだ、ということばかり強調することは(時に、テクニックとして必要なときもありますが)、品位に欠ける行動のように思います(でもtwitterでは僕はその品位のなさがかなり出ていたように自戒しています)。
なので、大変なときほど、明るく振舞おうと思いましたし、onとoffをはっきりさせて、息抜くときはしっかり息抜くようにしようとも思いました。せっかくのサンディエゴの恵まれた環境なので、work life balanceも大事にしないと、精神的にも持たないようにも思いました。更に言えば、アメリカの博士課程の辛い部分を周りに宣伝しても仕方ないので、海外での生活の良さを示すロールモデルになろうと、演じていた自分もいたように思います。でも、いざ試験に合格して、サンディエゴの空を見上げてみると、以前とは全く違う色に感じ、随分無理をしていたんだな、とも思いました。
ところで、自分自身がそのように振る舞えば振る舞うほど、「勉強が足りないのでは?」「もっと他に努力している人いるのにね。」と言われることもありました。博士課程の日々の生活で精一杯で、その他の事が回らなくなったときに批判をいただいたこともありました。更には「qualifying / field examにまじめに打ち込んでいない。試験を舐めているんじゃないの?」と裏で言われていた、ということも聞きました。どんな批判も、自分を省みるよすがとできる人でありたい、と思いますが、自分と違う立ち位置、環境にいる人からこのような指摘をいただくことには、深く考えることが多々ありました。ちなみにこの批判をいただいたのは全て日本人からです。
この2年間で応援してくださった方も沢山いました。応援して下さるのは本当にありがたいことなのですが、コミュニケーションをとっているうちに、こちらでの生活や勉学の細かいことまでご指示を下さったり、もしくは全く僕の状況の理解していないと明らかに分かるトンチンカンな質問をいただいたり。あまりにもトンチンカンだと、いくら「大変な状況だろうけど、応援してます」と言われても、大変な状況を全く理解してないことが伝わるだけに、「応援してます」という言葉が空虚に感じられます。こんなとき、アメリカの博士課程に身を置く身としては、思いや気持ちの伝わらなさに、人知れず孤独を感じたりもしました。
一方で、応援して下さる方の中には、こちらの日々の状況を察して、先方からは決して押し付けとなるような連絡を下さることはないけれども、要所要所で、励ましとなる一言を下さる方もいらっしゃいました。アメリカの博士課程で学位を取得した経験のある方、研究者の方で海外の状況も良くご存知の方からは、本当に様々なお心遣いをいただきました。更には、アカデミアのご経験はなくても、海外での事業の立ち上げを責任者として担った経験のある方からは同じようなお心遣いを感じました。これは、きっと皆さん、同じような境遇を実体験として持っているんじゃないか、という気がしています。
さて、これらのことを総合して振り返ってみると、もしかしたら、「真剣に戦っている人の品格」というものがあるのではないか、と思うようになりました。「真剣に戦っている人」もしくは「真剣に戦ったことのある人」にしか共通に感じることのできない、言葉ではうまく表すことはできない価値観や規範というものが存在しているように思います。僕自身、その品格を身につけている自信は全くありませんが、この2年間で、「真剣に戦っている人の品格」を感じる機会が多々あり、ロールモデルとしたい人も沢山見つけることができました。人間社会における「品格」は多様ですから、この「品格」が最も大事なものであると主張したい訳でも、全ての人が持つべき「品格」であると主張したい訳でもありません。でも、僕は、是非これからのキャリアにおいてその品格を身につけて、自分の次の世代で「真剣に戦ってる人」をencourageできるような大人になりたい、と決意を新たにしました。
この視座の広がりは、日本に住んでいた頃には、感じなかったことであり、勉強ばかりで頭でっかちになっている自分が、人間としても少しは成長できた部分なのかも知れません。
3. 最後に
最後に、この2年間の生活の中で、特に3人の日本人の方に感謝を申し上げたいと思います。
一人目は現在早稲田大学にいらっしゃる樋原伸彦さんです。樋原さんには渡米前から留学の相談に乗っていただき、海外に飛び出るかどうかを悩んでいるときもそっと背中を押して下さいました(清水の舞台から飛び降りるかを悩んでいたときに後ろから突き落とした、とも言う)。渡米後も、実際にサンディエゴを訪問下さって、僕の環境をしっかり見た上で、様々なアドバイスをいただきました。僕が日本に行ったときには、いつも時間を作って下さいますし、僕がこちらで悩んだときには、skypeで相談にものって下さいました。アメリカの博士課程の学生としての振る舞い方のイロハは、樋原さんから学んだように思います。
二人目は現在ニューヨーク州立大学にいらっしゃる入山章栄さんです。実は、入山さんとは一度も(!)直接お目にかかったことはないのですが、最初はtwitterでつながり、いつの間にかメールのやりとりをするようになり、僕がこちらで悩んだときにはskypeで相談に乗っていただいたりもしました。そして何より、日々のtwitterやFacebookでの交流におけるちょっとした一言が、同じアメリカのアカデミアに身を置く者同士の共感がありながらも、僕が最も励まされる一言を沢山いただきました。ほんの少し先輩で、アメリカのアカデミアにてfacultyとして身を置く入山さんの存在は僕のこの2年間の生活で本当に大きな支えでした。
三人目はSFC時代の指導教員であった國領二郎先生です。國領先生には、海外に留学するきっかけを作って下さいましたし、渡米するにあたっての後押しをいただきました。そして何より、SFC時代の最後の方は、アメリカのアカデミアへ移行するためのspringboardを國領先生に提供していただいたように思います。当時、國領先生に言われる言葉は、感覚的に理解できないことが多く、「なぜこんなことを言うのだろう」と半ば反感を感じるようなこともありました。でも、実際に渡米して、こちらのアカデミアに身にをおいてみて、國領先生に日本で言われてきた言葉がフラッシュバックし、そして何より、そのときの言葉の意味が理解できて、腹に落ちるようになりました。そして、何より國領先生からSFCから送り出すときにかけていただいたフック(=日本での退路をたって渡米すること)がなければ、とっくに諦めていたように思います。國領先生の引いてくださったレールがあったからこそ、ここまで来れたように思います。そんな訳で、渡米してからは國領先生に直接連絡をとることはそう多くはありませんでしたが、國領先生は間違いなく、この2年間の僕にとってのshadow adviserでした。
そんな訳で、僕には身近にアメリカのアカデミアで戦った経験のあるロールモデルが沢山います。僕もそんな経験を後輩に提供できるように、これからもがんばって成長していこうと心を新たにしています。
せっかく博士候補になったので、そのときの思いをブログにまとめようと思ったら、随分長くなってしまいました。普段は140文字以上の日本語を書くことはほとんどないのに。こんな長い日本語を書いたのは2年以上ぶりでしょうし、これからも当面ないでしょう。さて、博士課程の後半戦をがんばろう。という訳でちょっとした息抜きはこれでおしまい。
PS そうそう。随分アメリカでの生活になれたなぁと思った瞬間がついこの間ありました。1週間日本に滞在したのですが、成田からの帰りの便でユナイテッドの飛行機に乗った瞬間、周りが全部英語で、「ああ、ここからは英語だけで話せるんだ」と「ホッ」としたんです。まさか自分がこんな感覚を持つようになるとは、自分でもびっくりでした。