Science, Technology, and Entrepreneurship

早稲田ビジネススクール准教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

プロフェッショナルの流儀 -「シリコンバレーから将棋を観る」を読んで


はじめに
梅田望夫さんの「シリコンバレーから将棋を観る」を読みました。私は、正直子供の頃に遊びで将棋を指したことはあるものの、この分野に才能があったとも思えず、その分野からすっかり離れていますし、今現在将棋の観戦に興味がある訳でもありません。ただ、ビジョナリーとしての梅田さんの言動やメッセージには深い興味があるので、この本を読んでみようと思いました。高校時代の現代文の先生から好きな作家を見つけたらその人の著作は全て読破するくらいのattitudeを持って初めてその相手の考えやメッセージを理解することができる、とアドバイスをいただいたことがありましたが、その意味では、梅田さんは私にとって数少ない、全ての著作を読ませていただいている方です。


シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代


この本のタイトルを見たとき、始めは違和感がありました。というのはどうやっても、「シリコンバレー」と「将棋」が結びつかない。。もし万が一、梅田さんがこの本が売れるようにするために、「シリコンバレー」というタイトルを使っていたら嫌だなと思いました。シリコンバレーは自分にとって特別な場所だし、マーケティング用語にはならないで欲しいという気持ちが心のどこかにありました。もちろん、梅田さんだったら、安易にタイトルをつける人ではないし、何より本を読んでもいないのに、そういったことを感じたり批判するのは筋違い、と思い深く読んでみることにしました。

読んでみて分かったことは、この本は本質的には「将棋の楽しさ」とは何かということを伝えるというよりも、「プロフェッショナルの流儀」を伝えている本であるように思いました。将棋に興味がない私はこの本を読んだ結果、将棋を観戦することは自分の優先順位を考えてもないと思いますが、この本で見られる棋士たちの人間的な魅力には傾倒するものが深くありました。そのような人間性の魅力を、シリコンバレーのエンジニアと比較し、共通点を見い出しているところに、まさにこの本が「シリコンバレーから」という表現を使っている意味がある、と妙に納得しました。


新たなインプリケーション
この本の中で、私が深い気づきがあったのは、以下のパッセージです。

棋士たちの集団を見ていると、ふと、シリコンバレーの技術者集団と似ているなと思うことがある。シリコンバレーの技術者連中の中にも、十人に一人くらいの割合で、すぐれて社会性を秘めたタイプがいる。こういう人たちが、のちに技術者出身ながら経営者に転ずることが多い。逆に若い頃からあまりにも社会性を強く持ちすぎていると、一つのことへの集中と没頭が途切れやすく、一途に一つの技術的専門を極めていく競争の段階で負けてしまいがちで、一流技術者になれないケースが多い。物静かだけれど芯が強くて、しかも社会性を秘めたタイプが、若き日の膨大な時間を投資して技術を極め、そして四十歳を過ぎてから人間の総合力を発揮して経営者になっていく。そんなキャリア形成の事例がシリコンバレーには多いのだが、まさに深浦さんはそんなタイプの人なのだ。


恐らく、自分でいうのもおこがましいですが、私は比較的社会性が高いタイプだと思います。SIVの6年間の活動も恐らく私の社会性の高さがこの仕事を継続できた所以であろうと思います。

でも、研究者としての道を歩もうとしている中で、この社会性は基礎固めのフェーズにおいては、私にとって短所であろうと思います。留学及び博士取得を目指す私にとって今一番大事なことは、「社会性の低い」人間になることだと思います。社会性は人生の後半には間違いなく重要なんですが、自分の基礎固めのフェーズには、決してプラスにはならない。これは、業種にもよりますが、キャリア設計の特性によっては重要なことだろうと思います。


未来へ向けて
そんなときにふと思い出したのが、私がSIVを退任するときの「励ます会」で理工学部の伊藤公平さんからいただいた以下のメッセージです。励ます会で皆様にご紹介いただいたので、引用しても差し支えないと思いますので、以下に転載します。

抜群の積極性とバイタリティーを有する牧さんの活躍でSIVやインキュベーションセンターが軌道に乗り、さらなる発展のための礎が築かれました。この勢いをさらに続けるためには牧さんの力が必要なことに間違いありませんが、その一方で、牧さんが学者としての礎は今しか築けないでろうことに気づかれ、そのために学業に専念されるという英断を下されたことには「その通りであろう」と感心しています。しばらくは学者同志としてお付き合いしましょう。楽しみにしています。理工学部・伊藤公平


私にとって、このメッセージは深いものがありました。本来学者を目指すにあたって、自分の基礎固めをしなくてはならない時期に、私は「社会性」を発揮した活動をしていました。それは、学者としてのキャリアとしては出遅れていることを示します。でも手遅れになる前に、そのことに気付くことができたことは幸運でした。気づかせて下さった國領先生に感謝です。

実は伊藤さんには更に個人的なメッセージとして、「普通の学者と違う一歩を最初に歩んだことがこれからの私の学者としての価値観の源泉になるであろう」というようなアドバイスをいただきました。伊藤さんはちょうど私の一世代上にあたり、心から尊敬する先輩です。私にとってのロールモデルであり、メンターです。自分が気づいていないメッセージを常に下さる方ですし、私が不安なときに自信を持たせて下さる方です。間違いなく、これからの慶應義塾の未来を先導する方だと思います。

今の自分のキャリアには不安がいっぱいです。でもこの伊藤さんからいただいたアドバイスを自分の自信の源泉として、従来の学者とは一味違う学者となっていきたい、と思っています。


研究室の先輩から「助走というのは長ければ長いほど、遠くに飛ぶことができる」という励ましの言葉をいただきました。辛いことも沢山あるけれども、「けもの道」としての人生を突き抜けていきたいです。

私のようなキャリアというのは、これからの時代に求められる学者としての在り方で、これからの大学が時代の要請に答えることであると信じていますし、これが私がこれからの時代を背負っていくにあたっての、学者としての決意です。Steve Jobsの"Connecting the dots."を信じて、突っ走っていこうと思います。

私も棋士たちのように、人間的に魅力のあるプロフェッショナルの流儀を貫いていきたい、と「シリコンバレーから将棋を観る」を読んで決意しました。