2020年を迎えて - あけましておめでとうございます - 2020年の目標
2020年があけました。21世紀のsecond decadeの最後の年。ということは今年が終わると21世紀も5分の1が終わってしまう、ということです。最近、どんどん歳を重ねて、歳がとるのが怖いです。自分の年齢を考えたときに、本当に自分はこの年齢でやるべきことをやれているのかなぁ、と自問自答することも増えています。
2020年というと10年前の2010年のことを思い出します。32歳の1年間でした。この1年は自分の人生にとって、もっともエポックメイキングな年でした。育ての親であった祖母が亡くなり、その同時進行で海外受験の準備をして8月から渡米。渡米してからも全然自分の実力が足りないことを痛感する毎日で、体調を崩して1ヶ月ほど熱が下がらなかったり。ずっと長くいた(この時点で人生の半分以上慶應にいました)慶應と離れたのもこの年でした。
何よりも、この頃は、「何者でもない自分。これからどうなるかわからない自分。」と向き合っていました。今までやってきた仕事を全て捨てて、自分が自信を持っていた実績も全て捨てて、文字通りゼロリセットで渡米して、博士に挑戦しました。この頃は本当に自分のやってきたことに自信なかったし、これからの自分がものになる自信もなかった。何が専門かとも言えなかったし、所属が何もないフリーター的な期間でもあったし、32歳から5年間も「フルタイムの学生」をやるということは日本社会ではなかなか受け入れられない冷たい視線を受けていたし。社会に競争があることすら良くないことなんではないか、と思うくらい、前向きな気持ちにはなれていなかったと思います。
その頃のブログを見ると、当時の心境を思い出します。
当時の素直な気持ちをまとめています
1年間を振り返って - 激動の1年でした
支えとなる素敵な言葉にたくさん出会った一年でもありました
それから10年たって、10年前になりたいと思っていた自分に少しでも近づいてきたかも、と感じる時もあります。そんな10年間を過ごしてきた自分だからこそ、今の仕事をやっていても、「人生を真剣に生きている人」が大好きだし、「自分で真剣にやっていないことに気づいているのに言い訳をする人」が苦手だしあまりrespectしないんだと思います。人生を真剣に生きている人の共通のカルチャーみたいなものがあるような気がします。自分の意思決定に腹が据わっていたり、くだらない言い訳しなかったり、人に依存するよりも何を貢献できるかを考えていたり。
僕、良くいろいろな人に大して苦労をしていない温室育ちと思われるし、実際に言われることがあるのですが、子供の頃の家庭環境だったり、20代の頃のキャリア的に大きなリスクをとっていた仕事だったり、渡米した30代だったり、僕も、人並みくらいには、苦労しているつもりなんです。
毎年年初にその年の目標を決めてブログに書いています。2002年から始めているから、今年で19年目。こうやって振り返ってみると、達成できた目標も達成できてない目標もあるのですが、その時に自分が何を問題意識に感じていたのかを振り返ることができます。
2019年 「本を出版する」
2018年 「コンフリクトの調整能力を高める」
2017年 「国際共著論文の量産」
2016年 「本を出版する」
2015年 「腹回りのダイエット」
2014年 「博士のマーケットに出て、ポジションを得る」
2013年 「アメリカのアカデミアのスピード感の中で猛烈に研究する」
2012年 「アメリカのアカデミアにおいて実績を出す」
2011年 「ワークライフバランスを身につける」
2010年 「自分にとってのディシプリンとプリンシパルを身につける」
2009年 「海外進出」
2008年 「博士取得に専念」
2007年 「組織としてのマネジメントを学ぶ」
2006年 「マネジメントにおけるリーダーシップを身につける」
2005年 「多数の学会発表、論文の執筆を行う」
2004年 「ネットワーキング理論に強くなる」
2003年 「財務に強くなる」
2002年 「意思決定における公平性を身につける」
2019年の目標の「本を出版する」はまだ達成できてないのですが、後ちょっとで達成できそうです。3分の2くらいは原稿が終わっているので。後ひと頑張りです。
今年の目標は、「本をたくさん読む」にしたいと思います。実は渡米して以降、本読む時間があったら、英語の論文を読む方が優先、ということで、あまり本を読めていませんでした。日本に戻ってからも仕事が猛烈に忙しくて、あまり本を読む時間が取れていません。最近大学の近くに引っ越してしまって、電車に乗らなくなってので、ますます本を読む時間がとれていません。僕、日本の学者のスタンダードからすると圧倒的に読んでいる本が少ない、と自覚しています。
という訳で、論文だけではなく、今年は意識的に本をたくさん読みたいと思います。そのためには、その時間を作らないといけなくて、仕事量を調整するということも含めてです。どこまでやれるか分からないですが、まずは目標を立てることが大事なので。
ちなみに、過去に読んだ本の一部はこんな感じです。これにアップしてない本も結構あるのですが。
[2017年9月以前]
[2017年9月以降]
2019年を振り返って
後数時間で2019年も終わろうとしています。この1年間は色々な意味でWBSでの活動の基盤を固めた1年だったかなと思います。この1年間で特に大きな出来事を10点にまとめて、振り返ってみたいと思います。改めてお世話になった皆様に御礼申し上げます。
ビジネススクールでとても難易度の高い授業を教えるにあたって、その裏にある思い
今学期の夜間主の「科学技術とアントレプレナーシップ」の授業、履修者のおかげで、本当にうまく回っていると思います。理想的なラーニング・コミュニティになりつつあると思う。
この授業、濁流に飲まれて溺れていくような授業にも関わらず、かなり多くの人が付いていっています。
というより、履修者のプレゼンのレベルが高すぎます。結構難しい英語での定量論文を扱っているのに、みんな素晴らしいプレゼンをしていく。これ、多分世界の大学の博士課程のコースワークの授業のレベルは全然達しているし、もしかしたら実務への応用の議論ができる分、さらにレベルが高いかも。事前準備で分からないことを参加者同士がお互いに相談できる仕組みがうまく機能しています。
でも、苦労している人もたくさんいると思うんです。そんな人に贈る言葉として、このブログのメッセージはとても素晴らしいと思う。
MITに入学したけれども、その中で卒業できる人とできない人の差はどこにあるのか、という話。
彼が教えてくれたことのなかに、頭の回転が速くなければ理解できないことなどひとつもなかったということです。彼のことを知るにつけ分かったことは、彼の知性と実績のほとんどは、まさに勉強と鍛錬によってもたらされているということでした。そして、必要に応じて学んで訓練をした知性の道具や数学の道具を蓄積した結果として、彼の大きな道具箱があるのだと知りました。
MITを卒業するのに失敗する人というのは、入学して、いままでに経験したなによりも難しい問題に遭遇し、助けを求める方法も問題と格闘する方法も知らないために燃え尽きてしまうのです。うまくやる学生はそういう困難にぶつかったとき、自分の力不足と馬鹿さ加減に滅入る気持ちと闘い、山のふもとで小さな歩みを始めます。彼らは、プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らないということを知っているのです。彼らは、自分が力不足であると分かっているので助けを求めます。彼らは知性の欠如ではなく、やる気の欠如が問題だと考えます。
年をうんととってボケ始めるまでは、「頭がよく」なるチャンスはあるのです。括弧付きで言ってみたのは、「頭がよい」というのは単に、「とても多くの時間と汗を費やしたので、難なくやっているようにみえるまでになった」ということを言い換えているに過ぎないからです。
色々なことを考えさせられるメッセージです。
Storytellingのすすめ - "STE Relay Column: Narratives" をどのように"Narrative"を学ぶ場にできるか
2月にWBSで開講された授業"Venture Capital Formation"で、担当のProf. Phil Wickhamが、「シリコンバレーの通貨は、お金ではなく"narrative"なんだ」、と言っていました。お金自体は希少性はなく、むしろ大事なのは、個々人がどんな"narrative"を語れるかが大切。"narrative"とは、"storytelling"と近い意味で使われる用語で、いかに自分のやろうとしていることを相手がempathyを持つ形で語ることができるのか、というような能力です。これからの時代の必須能力の一つだと思うのです。
「科学技術とアントレプレナーシップ研究部会」では、"STE Relay Column"という関係者が毎週自分のやっている活動を紹介する連載を行ってきました。これを今回”STE Relay Column: Narratives"と名称を変えて、より"narrative"にフォーカスを当てて行きたいと思っています。
この連載、実は全ての原稿、私が直接事前に読ませていただいています。特定の原稿の修正を求める、というようなことは特にしていないのですが、原稿として、物語性をどのように出して、読者に伝わる文章をどのようにかけるか、どのような表現が良いかなど、なるべく筆者の方にサジェスチョンしたりすることも可能な時はするようにしています。もちろん、もともとストーリーがまとまっていて、修正なしなことも多いのですし、トピックにも左右されるのですが。
タイトルからスタートして、読者にどんなメッセージを伝えて、どんな行動変容を期待するのか。これ自体がユーザ・エクスペリエンスそのものです。
そう考えていくと、この"STE Relay Column: Narratives"を執筆いただく方が、このコラムを書くプロセスで、storytellingについて学べるようなプロセスを組み込みたい。ゼミや授業でも、色々なツールや場を通じて、storytelling、narrativeの能力を高めていくことができるような仕掛けを考えていきたいと思っています。
まずは、教材集めから。
以下のKhan Academyの"The Art of Storytelling"はPixarが作成したオンラインのチュートリアルで、もっとも定番中の定番のようです。昨年サンディエゴに行った際にGreg Horowitts氏からお勧めされました。
その他、ハーバード・ビジネス・レビューでも日本語の論文が用意されているようです。この辺り、ゼミの必須文献にしてみようかな。
- ロバート・マッキー、「経営者は優れた語り手であれ - ストーリーテリングが人を動かす」、ダイアモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー、2004年4月
- スティーブン・デニング、「人々の想像を刺激するストーリーテリングの力」、ダイアモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー、2004年10月
- ピーター・グーバー、「ハリウッドの名プロデューサが教えるストーリーテリングの心得」、ダイアモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー、2008年3月
2018年度研究実績一覧
年度はじめで色々な報告書を書かないといけないこともあり、昨年度1年間の成果の棚卸しをしました。
JST-RISTEX「スター・サイエンティストと日本のイノベーション」に関連して、メンバーが学会発表などを積極的にしてくれているおかげで、発表などの実績は増えています。僕はどうしても全体のプロジェクト・マネジメントに負担が大きくなってしまっていて、もう少し研究の中身に時間をさけるようにしたいのですが。
ただ、肝心の査読付き論文が全く出せてない。。。今年度はもう少し自分の研究論文を書く時間をとっていかないといけないな、と思っております。
[招待論文]
- 牧兼充、「日本はいまだに起業後進国なのか?―科学技術からの新事業創出の変遷―」、Nextcom 34、 2018年6月、pp.21-29
[学会発表(国際)]
- Sumikura, K., Sugai, N., and Maki, KM., “The Involvement of San Diego-Based Star Scientists in Firm Activities”, 2018 IEEE International Conference on Engineering, Technology and Innovation (ICE/ITMC), June 2018
- Nagane, H., Fukudome, Y. and Maki, KM., “An Analysis of Star Scientists in Japan”, 2018 IEEE International Conference on Engineering, Technology and Innovation (ICE/ITMC), Stuttgart, Germany, June 2018
[学会発表(国内)]
- 長根(齋藤)、林元輝、牧兼充、「スター・サイエンティストの特許出願状況から見る産学連携」、日本知財学会第16回年次学術研究発表会、2018年12月1日
- 菅井内音、隅蔵康一、牧兼充、福留祐太、長根(齋藤)裕美、「スター・サイエンティストに着目した日米の特許分析」、日本知財学会第16回年次学術研究発表会、2018年12月1日
- 長根裕美・福留祐太・牧兼充、第32 回研究・イノベーション学会年次学術大会「日本のイノベーション政策とスター・サイエンティスト」、東京大学、2018年10月26日
- 福嶋路・伊藤亜聖・田路則子・牧兼充、2019年度組織学会年次大会、「エコシステムの地殻変動とアジア・欧米のエコシステム」、2018年9月22日
- 隅藏康一・菅井内音・福留祐太・牧兼充、「スター・サイエンティストの日米比較:東京大学とUCSDに着目して」、日本機械学会2018年次大会、関西大学、2018年9月10日
[招待研究セミナー]
- “Innovation Policies and Star Scientists in Japan”, CEAFJP WORKSHOP “Who Changes the Status Quo? The Role of Star Scientists in Science Intensive Industry”, December 2018 (with Tetsuo Sasaki)
- “Innovation Policies and Star Scientists in Japan”, Stanford-Tsinghua Asia-Pacific Innovation Conference – “Analyzing Public Policies for Entrepreneurship and Innovation in East Asia”, September 2018 (Presenter Tetsuo Sasaki)
[書籍など]
- 木村 公一朗・牧 兼充、「序章: アジアの起業とイノベーション」、JETROアジア経済研究所「アジアの起業とイノベーション」研究会編「アジアの起業とイノベーション』(仮題)、出版準備中
- 牧兼充・長根(齋藤)裕美、「1.1.4 スター・サイエンティスト サイエンスとビジネスの好循環が新産業を創出する」、科学技術イノベーション政策研究センター編「科学技術イノベーション政策の科学: コアコンテンツ」、2019年4月、https://scirex-core.grips.ac.jp/1/1.1.4/main.pdf
- 牧兼充・吉岡(小林)徹、「1.1.3 大学発ベンチャー」、科学技術イノベーション政策研究センター編「科学技術イノベーション政策の科学: コアコンテンツ」、2019年4月、https://scirex-core.grips.ac.jp/1/1.1.3/main.pdf
[ケース教材]
Entrepreneurship is .....
WBS夜間主総合ゼミ1期生の卒業にあたり、こんなプレートを作ってプレゼントしました。
レガリアにかける想い
WBSの学位授与式において、僕は青色のレガリアを来て、参加しました。そしてDeanの淺羽さんも同じ色のレガリア。多くの人から「どうして浅羽さんとお揃いのデザインなんですか?」、「色間違えてないですか?」、「教員用はこの色なんですか?」、「アメリカの大学でもこの色なんですか?」、「浅羽さんと牧さんはどういう関係なんですか?」など、色々な質問をいただきました。
レガリアというのはもともと、中世のヨーロッパがオリジンの学者の正装のことをさします。学士、修士、博士それぞれデザインが分かれています。中世以降、博士取得者は、司祭や枢機卿のような明るい色のガウンを着る伝統が生まれました。このようなレガリアの文化はイギリスで発展し、その後アメリカの大学に引き継がれるようになりました。
アメリカでは、卒業式、学位授与式などの式典において、学者としての正装のレガリアを着ることが一般的です。そして、学士・修士・博士によってデザインが違うのと同時に、大学ごとにもデザインはバラバラです。
そして、学位授与式などで教員は、自分が所属している組織のデザインのレガリアを着るのではなくて、自分が博士を取得した大学のレガリアを着ることとなっています。ですから、色々な大学の出身者が集まる大学の教員の入場は、みんなバラバラな格好なので、さも仮装行列のようになります。そして、このみんながバラバラな格好ということは、それだけたくさんの大学の文化が融合している、ダイバーシティのあるコミュニティであることの象徴でもあります。もし教員がみんな同じ色のレガリアを来ていたら、その大学は人事がうまくいっていないと思った方が良いと思います。
なぜ、レガリアを着ることを大事にしているのか、それは大学が、世界最古のボローニャ大学の時代から、人類の知識を継承する役割を担って来ている、その知的交流の仲間に修了生をお迎えするのが、学位授与式の本来的な意味であるからです。
僕はWBSのような、ビジネススクールというプロフェッショナルスクールであるからこそ、学位授与式においては、アカデミアの価値を共有することはもっと強調されるべきだと思っています。それが、総合大学の中に根ざしているビジネススクールの本質的な強みだと思うから。
僕は、カリフォルニア大学サンディエゴ校で博士を取得した際にレガリアを購入しました。それはこれからも卒業式や学位授与式では着たいと思っていたから。
そして今回一人だけレガリアを着るととても浮いてしまうので、浅羽先生にお誘いして、浅羽先生にも母校のカリフォルニア大学ロサンゼルス校のレガリアを購入いただいて、一緒に着ましょう、ということになりました。ちなみに、カリフォルニア大学は10キャンパス合わせて一つの大学システムなので、レガリアのデザインも一緒です。
小さなこだわりかも知れないけれども、学位授与式で授与された修士号というのは、人類がボローニャ大学の時代から蓄積してきた、そして世界の学者が相互に繋がりなら発展させてきた知識を学んだことをcertifyするものだし、そのグローバルな知的コミュニティの仲間としてお迎えする、というものだったのだと思います。その思いを大切にしたいから、僕は会場で浮いていたとしても、レガリアを着ることを大切にしています。
別に仮装したいから(それもあるけど)、この格好をしているわけではないのです。
ということで、なぜ浅羽さんと二人でペアルックだったか、みなさま、ご納得いただけましたでしょうか。誤解解けましたか?
ぜひ修了生の皆さんに、世界の知的コミュニティの一員としてご活躍いただくためにも、アカデミアが大切にしている規範をご理解いただきたいと思いまして。