Science, Technology, and Entrepreneurship

早稲田ビジネススクール准教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

ビジネススクールでとても難易度の高い授業を教えるにあたって、その裏にある思い

今学期の夜間主の「科学技術とアントレプレナーシップ」の授業、履修者のおかげで、本当にうまく回っていると思います。理想的なラーニング・コミュニティになりつつあると思う。

この授業、濁流に飲まれて溺れていくような授業にも関わらず、かなり多くの人が付いていっています。

というより、履修者のプレゼンのレベルが高すぎます。結構難しい英語での定量論文を扱っているのに、みんな素晴らしいプレゼンをしていく。これ、多分世界の大学の博士課程のコースワークの授業のレベルは全然達しているし、もしかしたら実務への応用の議論ができる分、さらにレベルが高いかも。事前準備で分からないことを参加者同士がお互いに相談できる仕組みがうまく機能しています。

 

でも、苦労している人もたくさんいると思うんです。そんな人に贈る言葉として、このブログのメッセージはとても素晴らしいと思う。

 

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MITに入学したけれども、その中で卒業できる人とできない人の差はどこにあるのか、という話。

 

彼が教えてくれたことのなかに、頭の回転が速くなければ理解できないことなどひとつもなかったということです。彼のことを知るにつけ分かったことは、彼の知性と実績のほとんどは、まさに勉強と鍛錬によってもたらされているということでした。そして、必要に応じて学んで訓練をした知性の道具や数学の道具を蓄積した結果として、彼の大きな道具箱があるのだと知りました。

MITを卒業するのに失敗する人というのは、入学して、いままでに経験したなによりも難しい問題に遭遇し、助けを求める方法も問題と格闘する方法も知らないために燃え尽きてしまうのです。うまくやる学生はそういう困難にぶつかったとき、自分の力不足と馬鹿さ加減に滅入る気持ちと闘い、山のふもとで小さな歩みを始めます。彼らは、プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らないということを知っているのです。彼らは、自分が力不足であると分かっているので助けを求めます。彼らは知性の欠如ではなく、やる気の欠如が問題だと考えます。

年をうんととってボケ始めるまでは、「頭がよく」なるチャンスはあるのです。括弧付きで言ってみたのは、「頭がよい」というのは単に、「とても多くの時間と汗を費やしたので、難なくやっているようにみえるまでになった」ということを言い換えているに過ぎないからです。

 

色々なことを考えさせられるメッセージです。