怒濤の春学期が終了 -3.11の悲しみとの葛藤-
ようやく春学期の授業や研究活動、仕事などを含めて、全てが一段落して、夏休みに入りました。
春学期は、震災のショックから抜けきらぬままに開始しました。授業としては、「経営学の研究手法」、「社会心理学」、「ミクロ経済」、「個別研究」の4つを履修しました。それに加えて、こちらでの収入基盤を確保するという意味で、MBAのコアコースである"Lab to Market"のTeaching Assistantも担当させていただくことになりました。
授業としては3学期目なので、最初の頃よりは、ペースが掴みやすくなりましたが、ミクロ経済は自分にとっては新しい領域なので、その世界観を掴む部分に苦労がありました。また「経営学の研究手法」や「社会心理学」はとにかく課題として読む文献量が多く、最近は論文を読むスピードも随分上がりましたが、いかに授業で、英語がnativeの人相手でも負けない量の発言をし、かつその発言や質問が議論の質の向上に貢献するものにするか、ということを考えると、読む際の深みが重要で、そのためには大変な時間がかかりました。結局10週間で60本くらいの論文は読んだように思います。
それに加えて、何よりも精神的なプレッシャーだったのは、Teaching Assistant(TA)の初体験でした。"Lab to Market"の授業は、僕が日本で担当してた、アントレプレナー概論2と似たもので、内容としては自分の専門に近いのですが、MBAの授業で、自分自身は一度も履修したことがない授業。TAをやりながら、授業の課題となっている文献の読み込み(1回の授業につき5文献づつくらい)も必要でした。TAは、週10時間の労働が目安で、1学期10週間。トータルでいうと、7000ドルくらいの収入になります。これで博士課程のほぼ1学期分の学費に相当します。そこそこの給与水準です。MBAの学生からは、学期末にTAも教員と同じような形で評価されます。評判の悪いTAは業務から外されるという意味で、ここでもマーケットメカニズムが働いています。僕の役割は、学生からの質問対応、授業時のコメントの記録、レポートの採点などでしたが、MBAは成績にsensitiveな人も多いので、成績に関わる業務は、いつMBAの学生からの問い合わせが来ても、適切に答えられるような厳格さが求められます。しかもこの授業は、front-loaded(学期の前半に授業や課題が集中している)型の授業でしたから、授業が始まった一週目から大忙しでした。ここできちんと実績をあげられるかどうかは、今後の自分の研究生活に直結します。もっとストレートに言えば、ここで実績をあげられなければ、自分はアメリカでの博士課程は続けられない。文字通り、人生がかかった緊張感があり、真剣勝負そのものでした。
一方で、震災の直後で、日本のことにどうしても気が引かれます。そんな中で、如何に、そのショックを言い訳にすることなく、他国出身の学生と同じように、授業や研究で、貢献し、実績をあげていくか、ということは大きな試練でした。震災は、日本人誰もが深い悲しみから抜け出すことは決して容易でない大悲劇でした。でも、そんなときでも、誰もがチャンスを受けられる訳ではない海外留学という貴重な経験をさせてもらえているという自分の立場や社会的責任を自覚し、震災を言い訳にして、こちらでの本業のパフォーマンスを下げることなく、日本に貢献できることを具体的に動いていくかどうか。これは留学生であれば、誰もが経験した試練だったように思います。日本人留学生の多くは募金活動など、日本復興支援の具体的な活動をする中、僕自身は、授業・研究・TA業務に追われ、何が貢献できそうかを探りつつも、結果的には全く貢献することはできませんでした。一方でもし自分が深く時間を割いて貢献できることがあるとすれば、それは今自分が取り組んでいる研究の中で、日本の復興に役立たつことがないかを探すことかとも思いました。指導教員のアドバイスもあり、研究費助成の機会もあったので、自分の研究分野の中で、日本関連の柱を加えて、復興へつながるような研究テーマの模索もしてみましたが、結局それも具体化までは至りませんでした。そんな意味では、かなり消化不良でした。
震災のときに海外にいた留学生が共通して、日本にいた人から絶対に言われたくないのは「あなたは地震のときに海外にいたからその悲しみを共有してないでしょう。」という言葉であるように思います。海外という遠く離れていた場所にいたからこそ、より不安や悲しみを感じた側面も多々あります。そんな中で、海外の日本人留学生コミュニティから沢山の募金活動などが生まれましたが、自分自身がそこでも貢献できないことは、更に落ち込む要因でもありました。
そんなときに思い出したのは、慶應義塾が開校された直後に、福澤諭吉が、上野での戦争の最中に、経済学の授業をやった「ウェーランド経済講述記念日」の話です。国自体が内戦という危機を迎えていても、仮にすぐ近くで戦争が起きていたとしても、戦争に参加することよりも、学問を続けることが未来を創ることなんだ、という精神は、福澤諭吉が大切にした教えでした。自分自身がその精神を実践できたかどうか、と振り返れば、やはり反省点が多数ありましたが、自分の本来的ミッションである、授業、研究、TA業務に集中していくことへの精神的支柱でもありました。
加えて、今学期は、こちらでのネットワークも増えてきたこともあり、自分自身のネットワークについて、更なる拡大期でもありました。どんどん色々な方がその知り合いを紹介して下さいました。例えば、以下のような出会いがありました。
- 工学部のアントレプレナーシップセンターが日本の大学と連携をスタートするということで、その進め方の相談を受けました
- 隣の学部のExecutive Educationの部署が、日本の大学生をターゲットに、夏休み中のアントレプレナー教育プログラムを立ち上げたいということで、その進め方の相談を受けました
- サンディエゴでオンラインゲームに携わる人から、日本のベンチャーにつないで欲しいという相談を受けました
- 台湾とサンディエゴをつなぐインキュベータを運営している人から、今後の連携の話をしました
その他も色々な素敵な出会いも多々ありました。これらの全ての出会いは、自分にとってのこちらでのネットワークを広げていく上では貴重な機会ではあります。ただし、一方で自分の研究そのものと直接関係のない活動は、あくまで課外活動、social activityと位置づけるべきで、そこからはある程度の距離感を保たなければ、自分自身の未来への投資にはなりません。そんな訳で、どれも1回はお目にかかりましたが、自分が責任を持つ必要がない形でお会いするというのが大前提で、それは結果的には、ネットワークの発展という意味では、消化不良に終わっています。
加えて、5月14日に祖母の納骨式があり、2泊4日で日本に行って戻ってくるという用事が学期のど真ん中にありました。学期中は緊張の糸がはりつめている中で、そのペースが乱れるというのは、予想以上に大変なことだと痛感しました。今回は祖母の納骨式で、自分の価値観の中で最も大切なものでしたから日本行きは当然でしたが、もう二度と学期中の日本行きはしたくない、と思いました。
ということで、今学期も怒濤の10週間でしたが、自分が本来集中すべきことを見失わないでいられるか、自分のやるべき本来的な軸を失わずに選択と集中を貫いていけるかどうか、ということを試された学期でもありました。
そんな状況で、今学期は本当に消化不良が多く、多くの皆様にご迷惑をおかけし、自分のネットワークの構築という意味では犠牲にしたものも多いのですが、授業と研究とTA業務は、もっと良くできるところは当然あるものの、全うできたように思います。今学期もどうにかsurviveできたという表現が本音ですが、それに加えてこちらでの博士の研究の基盤は、この春学期で随分作れたように思います。