読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Science, Technology, and Entrepreneurship

政策研究大学院大学助教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

[ON] 「夢を語る人」と「想い出を語る人」

SIVの仕事をはじめて5年、様々なジェネレーション、職業、立場の方々と出会う機会が多数ある。その出会いの中から新しいコラボレーションが多数発生してきた。インキュベーションの活動は常に人と人の縁やネットワークにより発展するものなので、私自身そのような出会いを常に大切にしながら、直接的な利益を求めることなく、「互酬性」に基づいた関係構築につとめてきた。

ただ、本音でいえば、新しい出会いによって「更に元気が出る」場合と「相手に元気を吸い取られると感じる」場合とがあることが確かである。この二つの違いは何に基づくのだろうか、とずっと疑問に思ってきた。一般論として若い人と会う方が元気をもらうことができるなどと言われることもあるが、私自身の経験ではこの区分に年齢はあまり関係してないように思う。

先日、「フラット化する世界」を読んだ。その本の終盤でフリードマンが、「今後発展する国であるかどうかは、その国の国民の何割が夢を語り、何割が想い出を語るのか、ということを統計化することができれば、その指標が最も適切である。」ということを主張していた。

このフリードマンの主張を読み、上記の2つの区分は、相手が「夢を語る人」なのか「想い出を語る人」なのかに基づいているんじゃないか、という気がした。

そう考えてみると、慶應義塾の卒業生を中心としたメンターの皆様とおつきあいさせていただいている中で、学生との交流が多い方はことごとく「夢を語る人」であることに気づく。「夢を語ること」は、当事者同士が未来を一緒に創造し、相互にcompassionを育むためのプロセスである。一方で「想い出を語ること」は、片側が相手に対する押しつけになることが少なくない。

もちろん「想い出を語ること」を全否定するつもりはない。過去の経験や想い出から学ぶことが沢山あり続けることは確かである。しかしながら、「想い出を語る」際には、時代の変化を適切に理解し、これからの時代に役に立つ知見の抽出とセットで語るべきであり、それは決して容易ではない。でもそれができなければ、「想い出を語る」は、一方的な押しつけであり、結局のところ、相手の元気を吸い取ってしまう、ということにつながるように思う。

今後のSIVを中心としたインキュベーションコミュニティを発展させていくためには、いかに「夢を語る人」を集め続けていくか、ということが本質であるように思う。そして更に語った夢を実現するためには、過去の経験を活かすことが極めて重要であり、そのために「想い出」を分析し、未来に役に立つ知見を提供していくことのできる、経験豊かな方々を集めることが必要となる。このようなメンバーを集めることができれば、このコミュニティは自律的に発展し続ける体制になる気がする。