Science, Technology, and Entrepreneurship

政策研究大学院大学助教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

RIP Hidemi Matsukura


きっと日本では松倉秀実さんの告別式が行われている頃なのではないかと思います。松倉さんとは慶應時代に色々な仕事をご一緒した方なだけに、お通夜・告別式に是非参列したかったのですが、学期の途中ですので叶いませんでした。松倉さんとのお別れにあたって、松倉さんとの思い出をブログに綴っておこうと思います。


松倉さんとの出会いは2004年の3月くらいでした。慶應のビジネスプランコンテストの入賞者のビジネスアイディアを特許化するにあたって、当時政策・メディア研究科の教授でいらした坪田さんからのご紹介で、初めてお目にかかったのが松倉さんでした。松倉さん、覚えていらっしゃいます?最初にご相談した学生のアイディアの二つのうちの一つはお葬式に関するビジネスでしたよね。もともとのアイディアは、故人が死後に残したいもの、例えば孫の20歳の誕生日のプレゼントを自分が死んだ後にでも届くようにしたい、というようなニーズを満たすためのサービスを実現するというものでした。そのときに、松倉さんと一緒に、インターネットを活用したらどのような死後のサービスができるのか、色々な議論をしたことを思い出します。そのときに、松倉さんが温めていたいらしたアイディアの一つが、ある方が亡くなった際に、生命保険会社等と連携して、本人のブログにその告知がなされる、というシステムでしたよね。


その後、松倉さんとの交流が増えるようになり、僕がSFCで授業を持つようになってからはゲストスピーカーとしてご参加いただきましたよね。「ビジネスモデル特許」というテーマでお話をいただきましたよね。


授業のビデオ: http://gc.sfc.keio.ac.jp/cgi/class/class_top.cgi?2006_24261+
松倉さんの用意した資料: http://gc.sfc.keio.ac.jp/cgi/class/class_top.cgi?2006_24261+


そのときにビジネスモデル特許の事例として使ったのが松倉さんが用意したテーマは、

ブログを書いている本人が死亡したら、そのブログページを仏壇画像に更新して、更新手数料(ブログから仏壇画像への変更、一周忌等の更新および通知)で収益を上げる。


というものでしたよね。学生がビジネスモデル特許を学ぶために良い事例だったと思います。


そんな経験を松倉さんと共有していたので、松倉さんのご訃報の第一報をいただいたとき、松倉さんのことだから、今だったらブログではなく、きっとFacebookを使ったメッセージを残していらっしゃるのではないか、とまずその瞬間に思ったんです。そんな中で、ご友人の遠山さん経由で、松倉さんの残されたFacebookでのメッセージを見た瞬間、ああ、松倉さんは最期まで松倉さんらしいな、と思いました。


松倉さんのご訃報を聞いた瞬間に、最初の出会いのときの記憶が蘇り、松倉さんとの色々な思い出がフラッシュバックしてきます。まさかこんなに早く、松倉さんのアイディアをご自身で使われるタイミングが来るなんて。。。。


松倉さんとの思い出を改めて振り返ってみると、松倉さんの素晴らしさは、「弁理士らしくなかった」、ということに尽きるんじゃないかと思います。一般的に、弁理士という職業は、何が特許になるかを語ってくれることがあっても、特許をどのようにビジネスに活用するかなんてアドバイスはほとんどもらえない。でも、顧客のニーズとしては、特許になるかどうかなんてどうでも良くて、如何にビジネスに活用していくか、ということをご相談することを求めています。そんなニーズを、プロフェッショナルとして解決してくださる、僕の知る限り日本で唯一の弁理士が松倉さんでした。松倉さんは、特許を守ることだけではなく、特許を保持すること自体において、いかにして企業の戦略を組み立てていくかということを良く語っていらっしゃいました。そんなときに、僕が「松倉さんのやりたいことは、知財そのものというよりも、知財を活用したレピュテーションマネージメントなんですね」とお返事したところ、その後その言葉を気にいって色々なところで使って下さっていましたよね。


松倉さんには、慶應のベンチャー育成で本当にお世話になりました。本当に沢山の学生のビジネスアイディアについて一緒に議論しましたよね。ところで、今だからいいますが、松倉さんとの出会いがなければ、SIVはプロジェクトとして、あんなに長く続かなかったんじゃないかと思っています。松倉さんがいらしていただいたからこそ、学生のアイディアを知的財産権化することができて、そこからベンチャーが生まれる流れを作ることができた。もし松倉さんとの出会いがなければ、SIVは恐らく3年目くらいに破綻していたのではないかと、今振り返ると思います。


僕が慶應にいた頃の一番最後の仕事の一つは、松倉さんに担当していただく、「知的財産権とビジネスモデル」という授業の立ち上げでした。新しい授業を立ち上げるにあたっては、色々な調整が必要で、松倉さんとも沢山のことをご相談しましたよね。そういえば、あのときに僕が決めた授業名「知的財産権とビジネスモデル」としましたが、本当は「知的財産とビジネスモデル」とした方が、実は松倉さんの授業らしかったのではないか、とその後ずっと思ったりもしていました。


2010年に僕は渡米してしまったので、その後はどうしても接点は薄くなってしまいましたが、それでも2011年12月に日本を訪問した際には、松倉さんの「知的財産権とビジネスモデル」のゲストスピーカーとして呼んでいただきましたね。僕、今から思うと、この松倉さんの授業をフルに参加したのはあのときが初めてだったかも知れません。授業終わった後は、通例だと松倉さんは学生と一緒に食事に行くことが多いとのことですが、あのときは、どちらからということもなく、二人でゆっくり話しながら食事しよう、という雰囲気となり、二人で湘南台で焼肉を食べにいきましたよね。そのときにご一緒する中で、今までの沢山の思い出を二人で振り返りましたよね。今思うと、このときが、お元気な場で松倉さんとご一緒した最後の場でした。


2011年の3月頃に、松倉さんがご病気になったと聞き、しかも余命が4ヶ月とのこと。遠くアメリカにいて、本当にびっくりでしたし、心配でした。3月末に日本に行く予定があったので、松倉さんのお見舞いにいければと思ったのですが、結果的にそのときはお目にかかることができず、本当に心配しながらアメリカに戻ったことを思い出します。でも、その後、7月に日本に行った際には、松倉さんのご自宅に伺うことができて、近況報告やら、研究の議論やら、随分色々な話をしましたね。思った以上にお元気そうで安心したものでした。そういえば、そのときにとった写真、松倉さんのご了解をいただいてFacebookにアップしましたが、結果的にそのときの写真が松倉さんのFacebookに投稿されている最後の写真になってしまいましたね。9月に日本に行った際には、アメリカで見つけた松倉さんのテーマにぴったりな論文をお届けして色々な議論をしたり、2013年のサンディエゴのカレンダーをお渡ししたり。カレンダーを渡した瞬間に、松倉さんは、「来年まで生きろってことね」っておっしゃいましたよね。その他、今後一緒にやりたい共同研究の話も沢山しましたね。12月に日本に行った際は会えなかったので、結果的には9月にお目にかかったのが最後になってしまいましたね。あ、そうだ、松倉さんからは幾度となく結婚を勧められてきましたが、7月、9月と松倉さんのご自宅にお伺いした際に、奥様のかおりさんにお目にかかって、本当に大変なときに、ご夫婦二人で力強く歩まれている姿を見て、本当に結婚って良いものだな、ということが伝わり、松倉さんが普段おっしゃっていたことが良く分かったように思います。今までの人生で、結婚の素晴らしさを一番感じたのは、そのときだったように思います。


松倉さんとの思い出を振り返ってみると、本当に色々なことを思い出します。まじめなことから、二人で夜食事したり遊びにいったりしたことなど、本当に色々な思い出だらけです。松倉さん、お通夜も葬儀も行けなくてごめんなさい。でも、こんな感じでブログで思い出を綴って、松倉さんとのお別れをするのも、松倉さんらしいお別れのやり方かな、と思います。


弔電にも書きましたが、松倉さんが今まで築きあげられてきたものを引き継ぎ、また松倉さんが夢見た未来を実現していくことを約束します。松倉さん、本当にありがとうございました。



2011年12月に湘南台の焼肉屋にて