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早稲田ビジネススクール准教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

個益公益のデザイン -SFC中高同窓会幹事会に参加して感じたこと(5)


個益と公益
SFC中高同窓会幹事会に参加して感じたことを色々な観点から論じてきたが、いよいよ5回目。これで一旦一区切りにしようと思う。最終会のテーマは、「同窓会運営における個益公益のデザイン」を如何にして行うか、ということである。

同窓会活動の本質は、過去のつながりを維持するネットワークを提供するものであり、そのネットワークは原則的に個益のために活用することを、明示的ではないにしろ、暗黙のうちに仮定している。このつながりを活用して共にビジネスを起すケースもあれば、選挙活動に利用するケース、自分のビジネスの営業の場として活用するケースなど多種多様である。これらの利用の仕方には賛否両論があるが、同窓会としてはオフィシャルには、コミュニケーションのプラットフォームを提供し、そのプラットフォームをどのように利用するかは、利用する側の社会的良識に任されていると言って良い。

このような個益を最大限に満たすことは考えつつも、一方で同窓会としてのマネジメントは、公益性が要求される。名簿情報の管理方針は、個益ではなく、同窓会全体に対する公益という観点で意思決定なされなければならない。予算の決定・執行も、個益ではなく、公益の観点から行わなくてはならない。しなしながら、このときの「公益」とは具体的に何を指すのか、難しい。

同窓会は、経営感覚が要求されると同時に、個益公益のデザインも要求される、極めて特殊かつ運営の難しい活動である。


「公益」とは
「公益」という言葉を広辞苑で調べてみると、「国家または社会公共の利益。広く世人を益すること」と定義されている。前回の同窓会幹事会の予算案では、この「公益」とは何だろう、と深く考えさせられる議題があった。

同窓会の運営資金は、卒業時に一人1万円づつ徴収しており、1学年240人なので原則年間240万の会費収入となる。この会費は、学校が管理している保護者から教材等の支出のために預かっていた預かり金の中から自動的に、振り込まれる仕組みとなっている。その意味では、厳密に言えば会費を払っているのは本人ではなく、保護者ということになる。そして、全卒業生が同窓会に入会することを望むかどうかの意思に関係なく支払うことになる。

今回の幹事会において、次年度の予算案の審議が行われたが、その中に、「ゆとりの時間」の講師の懇親会費、という項目があった。「ゆとりの時間」というのは、毎週木曜日の午後に行われる自由選択の時間で、この開講科目の一つとして、毎週卒業生が母校に出向いて、生徒にメッセージを送るという企画である。説明を聞くに、この予算は、この講師が交流するための会費であると言う。同窓会は、卒業生同士の交流を図るための組織であることは間違いないが、一部の交流のために、同窓会費を投入して良いものなのかどうか。私が同窓会の運営の責任者をやっていた時代には、懇親会費はおろか、会合費(コーヒー代等)の支出も一切認めず、全て手弁当でやってきた。その後の代になって、会合費までは認めるようになった、という変化があった。私自身は、過去に講師をやらせていただいたことがあるが、私自身が高校生の頃の初心を思い出す貴重なチャンスだった。このような形で母校に貢献させていただくチャンスをいただいたことに感謝する立場というのが基本である。その上、人のお金で飲み食いまでしたいとは思わない。後々のことを考えると、きちんと同窓会で議論した方が良いアジェンダであるように思った。


3つの公益
この予算を支出するかどうかにあたっての公益性とは何を指すのだるろうか。大きく分けて3つのポイントがあると思う。

  • 税務上から見た公益性

同窓会というのは法人格を持たないけれども、ガバナンス構造を持った組織であり、法律上は「人格なき社団」と位置づけられる。この人格なき社団としての同窓会は、その公益性ゆえに免税対象となっている。しかしながら、昨今PTA団体が税務署からの査察を受けて課税されるなど、公益性を持った団体であっても、収益事業とみなされる活動は課税対象として扱われるようになっている。例えば、イベントなどで、広告掲載を前提とした協賛金を集めた場合、これは明確に収益事業とみなされる。その際、収益が出ればその事業の単独収支において課税対象となる。もしも本体の公益的な活動において損益が発生していた場合には相殺することが可能だ。そのような意味では、同窓会活動は、収入及び支出共に税務上の公益性を持たなくてはならない時代に既になっている。税務上の公益性とは、時代の中で、どこまでが公益なものと許されるのか、という世論の感覚他ならない。この感覚を敏感につかんでおくことは大切である。

  • 同窓会員全体への公益性

同窓会費は、本人の希望と関係なく、全卒業生から強制的に集めている会費である。この会費から得られる便益は、ユニバーサルサービスとして、あまねく平等に全会員が享受できるようにしなくてはならない。「ゆとりの時間」の講師を担当するチャンスを得る人は極めてごく一部である。同窓会活動が卒業生の間で認知度が高いとは言えない。講師を担当する人もどうしても同窓会運営コアメンバーの近くにいる人に偏りがちである。更に言えば、このような懇親会費に支出を認めてしまうと、他のプロジェクトが立ちあがった場合に、その都度懇親会費の計上を認めるのか、という議論になる。今後とも「ゆとりの時間」のみ交流会費を認めるとするのであれば、このプロジェクトが、卒業生全体の公益にどのように貢献しているのかを明確に示す必要がある。講師をやりたいけれども、実際にやれない人たちへの気持ちの配慮も必要だ。自分の知らないところで、講師をやるチャンスを得ていて、しかも自分達の払った会費が飲み食いに使われていると知ると、不快な気分になる人は少なくないように思う。この論点は、税金を国がどんな用途で活用して良いのか、という議論と似ている。

  • 現在から未来へつなぐ公益性

同窓会においてもう一つ考えなくてはならないのは、将来の同窓会会員への便益である。現在の同窓会の会費は入会金のみである。従って、スタート時は、年間240万円の予算で1000人の卒業生を支えていたのに対して、今は同じ金額で3000人を支えている。すなわち、投資対便益が年を追うごとにdilute(希薄化)するということである。年齢が上の人ほど便益が多く、若ければ若いほど便益が減る。これは年金の議論と似ている。同窓会運営に携わる初期メンバーが如何にこの未来への責任を自覚しながら物事を意思決定していくか、そこに運営メンバーの見識が問われている。後輩から先輩たちばっかり良い思いをしていた、と言われるような事態は想像したくない。


まとめ
こう考えると、同窓会活動というのは、国のガバナンスの縮図の要素も持っていて面白い。私自身、公益性とは何か、ということを考える良いきっかけとなった。国の税金や年金に不満を言う人に限って、このような同窓会の意思決定において、個益を優先してしまう人が少なくない。人間、自分の痛みはすぐ傷つくが、自分が発生源となっている他者の痛みには、意外と気づかないものである。

今回の幹事会では幸いにして、きちんと議論を重ねて、このポイントについてはとりあえず適切な意思決定をできたように思う。SFC中高同窓会は、「国」に対しても、「現在の同窓会会員」に対しても、「未来の同窓会会員」に対しても、胸を張って正しい、と言える意思決定をしていける組織でありたい。


5回に渡って、SFC中高同窓会幹事会に参加して感じたことを書かせていただいたが、私がこの話に拘ったのはいくつかの理由がある。第一に、今私自身が新しいステップに踏み出そうとする中で、自分自身の初心を思い出し、考えを整理するために良いコンテンツであったからだ。第二に、私自身は今後中長期的に同窓会に携わることはないと思うので、初期の頃に考えていた論点をきちんとまとめておいた方が良いと思ったからだ。第三に、たまたまテーマとしてSFC中高同窓会をケースとしてとりあげているが、ここで得られる知見は、色々なケースに含まれる普遍的な要素が含まれていると感じたからだ。第四に、私自身が現在追いかけている研究テーマと絡む論点が多く、自分自身の考えを整理したいと思ったからだ。

という訳で、これでこの話はおしまい。