Science, Technology, and Entrepreneurship

早稲田ビジネススクール准教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

梅田さんの「残念」発言に思うこと


ここ1週間ブログでは、梅田望夫さんの「残念」発言が炎上しつつあります。


http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045.html


あまり巻き込まれたくないな、と思いつつも、このようなときに自分なりの「正論」を述べておくことは、自分のような世代の責任として極めて大切なことだと思うので、逃げずに自分の意見を述べておこうと思います。

なお、以下はあくまで私見であって、関係者の皆様の環境を十分に理解していないので、私なりの「推察」が多分に含まれることを予め、お断りしておきます。


"Preference"と"Value Judgement"と"Factual Statement"の違い

日本語圏と英語圏の大きな違いとして、日本語圏は"Preference"と"Value Judgement"と"Factual Statement"の違いが曖昧である、ということがあるように思います。"Preference"というのは自分の好みを述べること。"Value Judgement"というのは自分の価値観を述べること。"Factual Statement"というのはある出来事が真実であるか否かを述べることを指します。例えばTOEFLのiBTを受けた人は分かると思いますが、Writingの試験問題においては、この3つの価値観を文章において明確に区別することが求められます。

今回の梅田さんの発言は、「日本のWebは残念」と言っています。これはどう読んでも、"Preference"であって、"Value Judgement"や"Factual Statement"ではありません。確かに梅田さんはネット業界においては、「ウェブ進化論」以来著名なオピニオンリーダーだと思います。でも、梅田さんが個人の立場で、自分の好みを述べることは自由なんじゃないかと思います。これが"Value Judgement"であったり、"Factual Statement"であれば、きちんと議論することは良いことであろうと思いますが、本人の"Preference"に反論することは私はあまり生産的ではないように思ってなりません。

日本では、著名な人はなぜか「公人」としての振る舞いが求められる傾向があります。それは古き良き日本の文化、「武士道」や「ノーブレス・オブリージュ」的価値観に基づいているのかも知れません。でも、この文化は、「出る杭を打つ」という側面も生み出しているようにも思います。個人の好みを言うことくらい個人の自由だろうと思いますし、それを尊重するような余裕を持っていたい、と思います。「出る杭を打つ」ようなことになってしまっているとすれば、「残念」なことだと思います。もちろん、梅田さんの"Preference"に対して「自分は嫌いだ」という"Preference"を持つことは、そこも個人の自由であろうと思うので、批判はしませんが、どちらかというと「好み」の戦いにあまり時間を割くよりは、違うことに時間を割く方が良いと思います。

ちなみに私は、梅田さんの「残念」という言葉は、かなり言葉を選んでいる発言に感じてなりません。

私個人は、あまりサブカルチャーに興味がなく、Webの世界を知的生産の場として捉えているので、梅田さんの意見とある程度、近い部分があります。もちろんサブカルチャーは日本の良い文化であろうと思うし、そこも私も批判しません。


シリコンバレーの日本人とGreater Japan
今回の梅田さんの「日本のWebは残念」発言にしても、渡辺千賀さんの「日本はもう駄目だと思う」発言にしても、シリコンバレーに在住する日本人の方の、悲観的な発言が最近目立ちます。本来シリコンバレーというのはoptimismな人たちが集まる場にも関わらず、この悲観的な発言はどこに起因するのでしょう。

日本にいると、シリコンバレーに在住している人たちは、国外にいて遠くから日本を見ている人たちという錯覚を持つ人も少なくないように思います。でも、シリコンバレーに在住している日本人の方とお会いすると結構な割合で、日本との関係をベースにしたビジネスをやっている人が多いように思います。経済圏でいえば、シリコンバレーにいるんだけれども"Greater Japan"経済圏に属している部分も、少なからずあるように思います。

日本は明らかに今、グローバル社会の中でのプレゼンスが落ちています。日本にいると気づかない部分もありますが、海外の人と交流すればするほど、そこへの危機感が募ります。"Greater Japan"経済圏にいる人というのは、日本と海外の橋渡しをビジネスにしているので、日本のプレゼンスの低下が、彼らのビジネスに直接的な打撃を与えます。日本国内よりも"Greater Japan"経済圏の人たちは、その日本のプレゼンス低下による危機感を真っ先に感じる部分があるんだろうと思います。

シリコンバレーで自立して生活していく以上、この「けもの道」を生きていく訳で、自分の生活に直結する危機感を伝えているようにも思います。その危機感は私は現実的なものであろうと思います。

例えば、私は今留学しようとしていて、その研究プロポーザルを書いていますが、その中で、日米のイノベーション比較の研究をしようとしています。でも、米国の大学の教授が日本という国に興味を持ってくれるかと言えば、極めて厳しい状況にあるといわざるを得ない。海外に出れば、日本という国のプレゼンスは、良いか悪いかは別にして、現実問題として自分のビジネスバリューに直結するものとして、戦っていかなくてはなりません。

本当は、日本という国との関係を絶ってでも、ビジネスとして自立していくことが真のグローバル人なのだろうと思いますが、その道のりは決して簡単なものではないように思います。事実私も、日本人であることに依存しながら、海外に出ようとしていて、その第一歩も踏み出せていない状況ですから。

「日本のプレゼンスが低下している」ということが"Factual Statement"かというと、数字的に実証ができていない部分もあるので、"Value Judgement"になるかと思います。でも多くの海外で仕事をしている人がその"Value Judgement"を持っているように感じます。もちろん、これは"Value Judgement"ですから反論はwelcomeで、むしろ反論して下さる方と一緒に協力して、より良い日本の発展に寄与していきたいなと思います。


「次の時代は自分たちが作るんだ」という気概
今回の一連の出来事を通じて感じるのは、梅田さんにオピニオンリーダーとして、期待している人が実に多いんだ、と改めて思いました。でも私は、梅田さんに依存するのではなく、「次の時代は自分たちが作るんだ」という気概が大事なんだろうと思います。梅田さんは、「ウェブ進化論」以来権威になってしまった。でも、次の時代を作るのは権威ではなく、権威を疑う人だろうと思います。

梅田さんの著作で一貫して感じるのは、次の世代への期待感です。別に梅田さんが「残念」と言おうと気にせずに(極端に言えば無視して)、次の世代が次の時代を作っていけばいいんだろうと思います。

ウェブ進化論」は、梅田さんの長年の蓄積と苦労の結晶だろうと思います。自分がその本の代わりに書けと言われたら、ちょっとできるか自信がないのが正直なところです。がんばってみたいという気概は持ってますが。でも、例えば梅田さんが興味のないと言っている、サブカルチャー。私はこれは間違いなく日本の良き文化であろうと思います。例えばこのサブカルチャーの良さを示す本を、次の世代が出して、それが「ウェブ進化論」より売れれば良いんだろうと思います。そのときにどれだけ売れるか、これがマーケットメカニズムだろうし、次の世代を語るfairな方法なような気がします。もちろん、サブカルチャーに限らず、post「ウェブ進化論」であれば何だっていいんだろうと思います。例えばそのような形で、世代のバトンが引き継がれていくのだろうと思います。


日本とシリコンバレーの違い、そしてグローバルへ
私は仕事柄何度もシリコンバレーに行ってますし、色々な人と交流していますし、一緒にプロジェクトをやったこともあります。そのときに感じるのは、片側で私は大好きで、片側で大嫌いなのが、シリコンバレーに厳然と存在する「スーパーエリート主義的発想」です。忘れてはいけないのは、そもそもシリコンバレーというのは世界中のエリートたちが集まり、ダーウィン的淘汰のメカニズムが強烈に働く場所だ、ということです。

そういった発想が良いのか悪いのか、好きなのか嫌いなのか、考え方はいろいろだろうと思います。でもその価値観がシリコンバレーの本質ですし、シリコンバレーの強さの源泉です。そういう地域が世界のある場所に存在することを否定する意味は全くもってないと思います。

ちなみに、日本の産業活性化プロジェクトで、「日本にシリコンバレーを作ろう」というような政策を打ち出す地方自治体が多数ありますが、本当に日本にそんな「スーパーエリート主義的発想」の場所を作りたいのか、といつも疑問に思います。日本社会には絶対馴染まないだろうと、私はいつも違和感を感じています。

今回の記事全体を見ていても、梅田さんの発言は、シリコンバレー的「スーパーエリート主義的発想」での発言のように思います。おそらくこれは日本文化には馴染まないでしょう。ですから、"Preference"として拒絶反応を持つ人が多いのも自由だと思います。でもそもそも論として、インタビュー記事なんて、ライターが後に編集する訳で、本人の真意が正確に伝わっているかどうかの保証もないのですが。

私は仕事柄、色々な国の人に出会います。最近、日本は「パラダイス鎖国」とか「ガラパゴス化する国」とか言われます。でも、シリコンバレーも日本と同じくらい「ガラパゴス化」した地域だと思っています。もちろん、日本と違ってシリコンバレーは、移民が多いし、ダイバーシティがあります。でもあの地域にあるダーウィン的淘汰のメカニズムは、文化としてかなり強烈で、間違いなく「ガラパゴス化」している地域です。であるからこそ、強さを保てるんだし、その中で、「スーパーエリート主義的発想」が形成されてきています。

でも、忘れてはいけないのは、このシリコンバレーの価値観がグローバルな価値観ではない。決して、日本以外の全ての国はそういう価値観を持っていると誤解してはいけないと思います。日本には、「実るほど頭をたれる稲穂かな」という言葉がありますが、色々な国の人と付き合っていると、世界で超一流の人がこの価値観を持ってる人がいかに多いか、と気づきます。この価値観は、世界の中でも特に日本が強烈に持っている価値観で、日本なりの良さですから誇っていきたいものだと思います。その意味でいうと、梅田さんの記事は、日本の良さとは違う価値観であったようにも思います。

まずは、シリコンバレーというのは世界でも、良くも悪くも、極めて特殊な環境なんだ、ということは認識することが大事なのではないかと思います。

どの地域に拠点を置くかによって、必ずや文化の衝突があります。その上で、批判するのではなく、まずは自分と"Preference"の合う人と付き合っていけばいいし、そしてもし可能であれば、少し視野を広げて違う"Preference"を持つ人をrespectする余裕を持てると更に幸せだな、と思います。