Science, Technology, and Entrepreneurship

早稲田ビジネススクール准教授。研究分野である、「科学技術とアントレプレナーシップ」に関することを中心に、日常生活で考えたことをお届けします。

アメリカに来て変わった価値観


日本に行ったときをはじめ、今後色々な人に絶対聞かれると思われる質問は、こちらに来て僕の価値観がどう変わったのか、ということだと思います。箇条書きでそのあたりをまとめてみようと思います。


1. 健康管理は何よりも大事

渡米して1ヶ月くらいで激しく体調を崩し、風邪が1ヶ月近く治らなかったことが、この価値観の変化の大きな要因です。こちらの医療は日本に比べても高いし、薬で風邪が治るわけでもなく、自分の体が自然に治るしかない、ということを実感しました。体調崩してから考えるのでは、時間もお金も無駄で、如何に事前に予防するかが大事です。そのために、食生活を気遣う努力を始めました。また運動も少しづつしています。とはいっても、ジムに通って、栄養のバランスのためにビタミン剤を毎日飲んでいるという生活は如何にもアメリカ人という感じですが。ちなみにタバコも一切吸わなくなりました。


2. 飲み会は時間の浪費

日本での私を知っている人からは考えられないでしょうけれども、飲み会が時間の浪費と思うようになりました。もちろん飲み会に一切行かないという訳ではないのですが、日本の頃のように誘われたらなるべく顔を出す、というような価値観は一切なくなりました。この背景はいくつかあります。第一にアメリカは車社会なのでそもそも飲みづらいということ。第二に、これが最大の理由でもありますが、お酒は飲んでいる間だけではなく、その後や次の日のパフォーマンスを下げることです。特に勉強に集中したいときには、ちょっとでもアルコールを飲むと生産性が下がります。第三に、日本ほどお酒を飲んだときに本音を話すというカルチャーではないからです。みんな基本的に組織ではなく個人として発言する社会では、わざわざ飲み会で信頼を作るということがマストではありません。むしろ、昼間での信頼関係をしっかり作ることが大切です。という訳で、飲み会は生活の前提ではなく、本当に必要だと思うときに行くもの、と思うようになりました。


3. ゲームのルールが変われば、自分のバリューはゼロリセット

自分自身日本では色々な仕事をしてきましたし、そこそこ自分も仕事の実績はあると思っていました。でもこちらに来たらそんな過去のことは役立たず、今この場でどんなバリューが発揮できるのか、ということが求められます。自分にとっては新たなチャレンジなので、実績が出せないことが続きます。過去にいた組織や実績などは全く評価されません。評価されるルールやゲームのルールが変われば、自分のバリューはゼロリセットになります。例えば、ディスカッションを日本語でできたとしても、こちらにいれば英語でディスカッションができなければ、バリューはゼロです。その意味では、少なくとも自分は日本に長くいすぎることで、自分の価値を市場価値よりも高く見積もりすぎていたように思います。日本社会でのバリューとアメリカ社会でのバリューは、アメリカ社会の方が上、ということはないと思いますが、現実的な労働市場を考えた場合に、日本での労働市場よりも、グローバル(英語主体、アメリカ的な)の労働市場の方が遥かにサイズは大きく、自分の仕事を見つける可能性が高い反面、世界中の人が集まるので競争が激しくなります。そんな中で、戦っていくときには、日本でやってきたことに依存することなんてできない。頭では分かっていましたが、実際にこちらに来てみて、この事実は思った以上に衝撃的でした。

ところで、もちろんこちらでも新しいことをチャレンジするときに、過去の経歴を使って、自分がその仕事をできる理由を説得することはできますが、それは論理的な一貫性がないといけないです。なので、こちらに来て、自分のバリューは一旦ゼロリセットされるのですが、過去の経験をどうつなげていくかは自分の工夫次第だろうと思います。


4. 常にreputationとfavor bankの戦い

アメリカは多様な人種・価値観人が集まっているので、お互いに協力するときの感覚が違います。常に相手はどこが優れているのかを評価されます。日本でもお互いに相手を評価しますが、こちらの社会では露骨なほどにそれが当然のこととされます。日々smartであることが大前提。また相手が自分に良くしてくれたら次に相手に何か頼まれたときに協力します。逆にいうと普段から相手のために貢献しておかなければ、いざ自分が困ったときに協力してもらえません。日本だったら例えば知り合いの知り合いだったら助けよう、同じグループだったら助けよう、というような感覚がまだありますが、こちらではあまり強くありません。

従って日々、自分のreputationとfavor bankの蓄積を気にしなくてはいけません。というと辛い社会に見えるかも知れませんが、これが良い意味でのpeer reviewで、成長するためのプレッシャーの源泉になっているように思います。日本での相互への助け合いの精神は悪いことでは決してないと思いますが、競争が弱い場合には、傷のなめ合いになってしまうことも多々あるかと思います。

ちなみに深い仲間を作っていくのも大変です。日本語で「同じ釜の飯を食った仲間」という表現がありますがこれは確かにと思う表現です。でもアメリカでそれを実現しようとしたら、釜に何を入れるかで揉めるし、豚肉入れていいのかで注意がいるし、飯が嫌いな人がいるし、そもそも釜って何?と聞かれるし。。。決して容易ではありません。そう考えてみると、「同じ釜の飯を食った仲間」というのは、極めて日本の均質性を現してる言葉のように思います。


5. プロセス以上に結果をどう見せるか

アメリカでは、常に結果の見え方が重視されます。どんなに事前に準備しても当日きちんとそれを相手に伝えられなかったら負け。日本でもこれは同じことだと思いますが、日本の方がプロセスも見る傾向にあると思います。そして結果を出すことも大事なんですが、それ以上に結果をどう見せるかが重視されているように思います。例えばデータの分析をしたらその結果をしっかり説明することが大事なのですが、それ以上に如何にsmartに面白く説明するかが大切となります。ディスカッションでも、良い意見を言うことは大事なのですが、それ以上に如何に自分がsmartであるかを相手に見せるかが大事です。同じことを聞くのでも、どういう表現をするかによって大きく変わります。要はreputationを高めるような結果の出し方が求められています。



というようなことは、日本でも実は共通項が多く、僕の世界が狭かっただけのような気もしますが、こちらに来て変わった価値観の一部かなと思っています。とりあえず思いつきで書いているので、もう少し深く考えて、version upが必要かなとも思っています。

でもどちらにしても、日本での僕のことを知ってる人からすれば、「え?」と思うことも多く含まれているのではないかと思います。